エッセイ 2010-2016

 

「遊びの王さま」作:ちねんだいち

 

ある学校に遊びの王さまがいた

王さまは遊ぶのが得意だった

でもだれも遊びの王さまがどこから来ているのかを知らなかった。

 

ある夕方、学校が終わると、子どもたちはこっそりと王さまの後をつけた。

王さまがこの世界のものではないと大人たちがウワサをしていたから。

 

王さまは街を抜けて、小道をひとり歩いていった

山に入る入り口で 王さまはふりかえり 僕らにニタ~っと笑ってみせた

 

沈みゆく太陽にてらされ、きらきらひかる樹々や空、王さまのまわりには鳥や虫たちがやってきた。

 

王さまは ふっと 消えた

 

その瞬間、樹々や空、鳥や虫、ケモノたちが生き生きと軋んだ

 

王さまは森だったのだ

 

翌日から王さまは学校に来なくなった。

子どもたちはさびしかった。

 

けれど前より、子どもたちは風に耳をすますようになった

土を見るようになった

樹にさわるようになった

子どもたちはその時、王さまと遊んでいる気持ちになった

 

思えば、王さまの周りには、仲間はずれがいなかった

思えば、王さまはいつも走り回ってくだらないことをしていた

思えば、王さまに話しかけられない子なんていなかった

思えば、王さまは大人のくだらない話の時、いつも僕らの見方だった

 

思えば、王さまは、遊んでいるようで

僕らの為に生きていたのだ

僕らはそれを知っていた。

 

遊びの王さま

きみにまた僕は

会いたいよ~う

 

 

 

 

 

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2016.12.22

 


 

ピカソが好きです。

ピカソのどんな絵よりも「明日描く絵が一番すばらしい」、と言った、ピカソの心が好きです。

 

2016.1.21


 

「少年の飛行帽子」

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私 は毎日毎日、遊んでいた。

走る車から、走る電車から、私はいつも窓の外に、ひとりの人間をみた。

身体がグニャグニャになりながら、私と並走する白い欠片。

電柱に激突し、倒れ、また 立ち上がり、赤信号で止まる私を背に、追いつかれるであろう未来へ向かい、全速力で走り去る相棒。それが私の、たった1人の友だちだった。

紅 葉実る午後、私は口足らずの鼻を垂らして、掴みかけていた青春を、誰かに宝物のように見せたことがある。

コンクリート打ちっぱなしの地下で。

ただ、認めて ほしかった。威張りたいわけじゃなかった。

下校途中の太陽が、坂道に寝そべっ て、真っ赤なランドセルのあの子を空に焼き付けている…。ボンボンと花火の音が暗闇に咲く。

その膨らみを誰に頼まれたわけでもなく、こころの雑巾で拭っ た。

日だまりの公園にいた、誰も手をかけない手すりを、知っている。

パズルピースのようなニスのくぼみと指、青と白の体育着に声が入る夢。

 赤い胸の校章が好きだった。

横に走る登り棒と面影がさするバスケットコート。煮詰まった張板と隅っこの音たちの遠出。。。

僕は他人の不運を願い、烙印を押 される仲間を見ては、いつも、いつも戸惑っていた。

バーン!とはじまったステージの上、一番遠くから私を見た教師はその時、人だった。私はいつも、一人 だった。

実験で作ったサ ラダ菜を宝石のように噛み、敗北に頭突きをかまし、膨れた目玉をあの子に見せびらかしては、動揺ばかりをポケットに入れていた。

嘘をつき、嘘をつき、バッタリといつも寂しさにぶつかった。

楽しさは駆け出すと、必ず切なさにぶつかった。

消しゴムを投げつけ、最後まで皆で無視した、綺 麗で真っ直ぐなよく泣く先生が、みんなみんな好きだった。

誰もいないアパートで流し台によじのぼり、西日をからだに塗りたくっては、アンパンマン歯磨き粉 を食べていた。

「自由時間」が嫌いだった私は、常に誰かに強制的に縛られたいと寂しがりながら、寂しくない演技をし、ただ傘をぶん回していた。

雨上がりの 帰り道には、決まって傘を忘れた。その純朴だけが校舎を七色に染めていた。

雨日は決まって傘先を、壁や車の下や空に向けるから、いつも濡れていた。

空をく りぬいたようなベランダ。室外機の脇、海がそこにあって、悲しみもそこに あった。

私はガラスに鼻を押し当て、この世界と全身で闘っていた。

久しぶりに、母とキャッチボールをしたことがあった。何球かとれなかった私は、母とは 違った方角にボールを投げ、「とれないじゃないか」と言った。

母はグローブを置いて立ち去った。

あの時、私は、自分を裂いていた。

立ち入り禁止の柵内、高 い所から高い所へ飛ぶ遊びを、飽きるまでした。肉を割いて骨が見えるイメージ、それだけを何百枚もあたりに投げた。

ぼんやり繋がれたように、急いで忘れ物 を取りに帰るように、あの子の団地の入り口を、心からかすめた。

赤土校庭の隅で、キーコキーコと剥げた遊具をつまんでは離し、水滴を手のひらでゆっくり ゆっくり払った。

テカテカの銀の袋に入った小さな菓子が食べたかった。遊ぼうと嘘をついては、お菓子だけが食べたかった。

誰かもわからぬからっぽを従え、 私はただ、いつも幻想を見ていた。

退屈を噛んで噛んで忘れてしまった気配を山羊が眺めている。

虫たちが一面すべてを掻き消して、掻き回し て、呼ぶ。

私は珈琲を呑んだ。そう、 私は、悔しかった。

眩しい景色はいつも舌足らずで、どんだけ悔いても悔いても、何を悔いているかを忘れるような、そんな阿呆が情けなかった。

しか し、そんな阿呆を私は密かに、大々と、愛していた。

空間に地面が落っこちて、トントンとボールのように、はねる。

私はトンネルの中、向こう側に張り 付いた秋にまみれた子どもたちのやさしさを、肉肌に刻みこみ、刷り込んだ。

スネのよこが砂利で擦れ、膿が真っ白く浮き上がり、ソックスに口を寄せる。

私は たいせつな肌を剥がすように、君と明日への隙間を覗き見し、また覗いては隠れした。

マンホールのくぼみに溜まった濡れた髪の毛。しっとりとヒンヤリ、冬が 来てるんだぜ。別れの季節がいつも僕 に夢を見せた。

デッサンは一人でに夜の繁華街を歩いて、ハーモニカを吹きながら真っ黒い空を食べ続けている。

そうだろう、地球の果てまで行くと、いつだって、虫とか膝と か、そんなものしかいないから、私は、思いっきり、悲しいよ~って泣く。鳥とか。

あれは夕暮れとか朝焼けとか珈琲とか、馬鹿とか、何だっていいんだよ。わ か りますか?みんな、さびしいんですよ。

あなた!少しボコーンとあの薬屋の門に突っ立っている看板盗んできなさい。そうですよ。殴るんじゃなしに、コッソ リ、盗むんです。音もなしに。

ドロボーはね、ただ、寂しいでしょ。その寂しさをね、抱えて抱えて、寂しい人は、優しいでしょ。

物乞いは、冷たい氷水のよう に、流れていく寂しさをね、盗んでいく。だから、冷たい優しさを抱いているよ。本物はね。

肋骨の下あたり、そこに青春があって、ユラユラ踊って い るのがわかりますか。

夜、雨上がりの 真っ黒に光ったアスファルトの上に、ビー玉を置いた。

街灯にてらされた少し、変わった景色を眺めていた。両眉の上あたり、輪郭のないお母さんがいた。透明 な、人型の袋に見え た。でも、違う。

ひたいにスッと人差し指でもつけられたような気になって、私もう一度、今度は、小さく、「おかあさん」って思った。その私を、いつ も私は鉄格子に入れて持っている。

真っ赤な暗がりが吹き出した、熱のねじれ、ぼく。

何度も美しい瞬間が重なると、ふくれてはじけて雪になる。すると、コタ ツの中にいた、寂しさたちが「たいくつだね、たいくつだね」ってうずくんだ。

私が一番、恥ずかしいのは、自分です。悲しいのも自分です。

つ まずいて、やっと一秒になる。

死んだ時間から落っこちる為、その為だけにず~と、塗っている。何かを。何か に。 何でもいいと言った具合に。

鏡を見たって鏡の裏側が映らないでしょ。だから鏡が無かったら、全てが並んで列をなす。

喪服のタグ、もう一方のドレス、新しい 靴紐と履きならした靴の恥じらい。忘れられた温かい弁当。走り去るバスに投げ込まれた一生咲く花。地球に腰掛けて、草だっ て恋をします。

だからいいんですよ、と慰めても、どうもやりきれないから私はまた足の毛、手の毛、へその毛、耳の下の太い髪の毛なんかを抜くのかな。 一人で。便所の中、風呂場の中。

芸術とか生活と思いながら。

私は嫉妬深いですよ。インディアンじゃないですから。

宝物があれば、誰にも渡し ま せんよ。好きな人だけですよ。そういうね寂しさってやつを、暴力が優しい顔して、バシバシ紐解いていくでしょ。

私は丁寧に、右左曲がりながら結局、爪 いじっちゃって、その間に、とられちゃってね。気づいているのだけど手元が気になるフリしてね。

はみ出したそれを、しこたま殴って消した。ずっとずっ と、無視。その絶望を、遠くの空、市営グランドの網の隙間からすくってまた傷口に染み込ませる。

いろんなキス(口づけ)が、痛くって痛 くっ て。グルグルほおった縄を巻き取りながら、やっぱりあの人とあの人(好きな人)の、そう、肩と肩に掛かった橋を、蟻が落っこちる一瞬を、恋とよび、待ち 構えている。それはあかね色だよ。

鎖骨の端っこから背中の、羽根が生えていたらしいくぼみにかけて、斜めに走る直線は、日が沈む間際、紫色に染ま る 秩父の山並みを呟く。

もう二度と来ないでほしいと焦がれながら、私はおおきなおおきな、眩しいやさしさに向かって、やっぱり会いたいという。

いのちの 秤は触れるたび、今日を厚くして答えている。ひなたぼっこと押し入れの影で、私は、小さな願いを持っていた。

ある日、 それを書いてみた。叫ぶような何かの重さにぐりぐり押されながら、散らばった棒っ切れで、  あたりを気にしながら  。

 

 

2015.11

 


 

「ベイビー逃げるんだ」

 

過労で自殺した女性の記事を目にした。とても悲しい。

僕のこのブログを読んでいる人の中にも、会社や身の回りの人間関係に苦痛を抱いている人がいるかと思う。

今日は、そんな人に書こうと思う。

僕は高校を卒業して一年間、沖縄のFC琉球(現在J3)というサッカーチームに所属していた。

高校の時からラモス瑠偉氏に気に入られ、東京の家に呼ばれてご飯を食べたり、東京ベルディのサテライトへ沖縄から参加していた時期がある。

そのラモスから直接、沖縄でプロサッカーチームを作るから入らないかと呼ばれ、僕のFC琉球生活は始まった。

当時はまだ県3部リーグで、もちろんギャラも出ない。練習グラウンドもなく、沖縄、那覇にある貯水所の芝生で練習をしていた。

皆、J経験者だったり、若い頃、日本代表ユースの中心人物だったり、実業団の中では群をぬいてうまかったり、そんなメンバーが集められた。ほとんどは県外の人。沖縄のメンバーは、実力も劣っているので居心地が悪く、今思えば何かと笑いのネタにされていた気がする。

メンバーの中には、その後J1に行って活躍した人もいるし、フットサルニッポン代表、ビーチサッカー日本代表で世界大会に出場し、活躍した人もいる。

そのチームで僕はというと、入ってすぐに怪我をし、最年少だったため、買い出しや水汲みばかりしていた。

僕の気持ちは焦るばかり、皆は、不満がたまっているから、いつも誰かが誰かの文句を影で言ったり、誰かをのけ者にしたり、そんな毎日だった。

雑用と気づかいでボロぞうきんのような毎日。治らない足首。若かったので勢いでプレイしてみると、またその夜、酷く痛んだ。

「まだできねぇの?」「嘘なんじゃねーの?」そんな言葉を言われながら、一年を棒に振った。

毎日、行くのが本当に辛かった。練習場に向かう朝、胸が締め付けられ苦しくなってきていた。

強がり、気を張り、他に対するプライドで身を固めた。

気付くと、練習じゃない時間だけが、安らぎに変わっていた。僕は何のために行っているんだろう。

小さな頃から、僕はサッカーしかやってこなかった。

これしかない。これをやめたら、僕じゃない。そう思っていた。

頑張ることでしか道は開けない、先がないと思っていた。

ある日、「やめよう」と思った。

その翌日、僕は練習が終わると口を開いた。

「僕、今日でやめます。」

『Jリーグへ』、という夢(その夢が叶う頃、このメンバーの多くは解雇されているであろう事を、皆どこかで知っていた)でチームは必死に結束していた。

僕の発言に、不意をつかれ、皆ポカンとした。

その後、皆、急に優しくなった。

「やめるな」「頑張ろう」とか「明日も待ってるよ」とか。

「雑用をその後、誰がやるのか」その問題が僕より少し上の世代には一気によぎった事だろう。

本当に僕の才能をかってくれた10番リカルドは僕に「もったいない」と何度も言った。

僕はやめた。

FC琉球、初めての退団者だった。

それからしばらく僕はさまよい、ダラダラ遊んでいた池袋でパフォーマーTOYの「大道芸」と出逢うことになる。

震えるほど、感動した。僕は投げ銭を入れるために並んだ観客の列に入り、お金を入れた後、握手をした。

いつもあの日の感動が渦巻き、当時、居候していた親戚の家がある埼玉のみずほ台から、ない金を叩いて池袋をうろつくも、彼にはついに再会できなかった。

僕は沖縄に戻り、かわいい女の子がいるかもという不純な理由で沖縄キリスト短期大学の「保育科」を目指した。

塾に通い、朝から晩まで勉強した。でも心のどこかで、大道芸が忘れられず、鏡を見てはロボットのパントマイムをしていた。

ある日、眠りに付く前の天井を眺めていたら、「俺は一生このままだ」と思った。

翌日、僕は高校生の頃遊ぶために通った街角に立った。

震えながら差し出した帽子には一銭も入らなかった。

片付けをしていると、一人の小さな男の子がよちよち歩いてきて僕の前に立った。

きょとんとしてその子を眺めると、その子は100円を持っていた。

その子の来た先をたどると、若いお父さんが、「いいよ、いいよ」と言うふうに笑いながら眺めていた。

僕は急いで鞄を開き、帽子を取り出した。膝をつき、男の子に差し出す。

そのお金の重たさが、今日の僕を支えている。

僕は静かに大道芸人を始めた。上京し、新宿で小突かれ、駅前でもまれながら、時折沖縄に戻り、北谷町美浜でパフォーマンスをする日々。マンガ喫茶、カプセルホテルから路上に通い、公園に寝たこともしばしば。。

飲み物をごちそうしてくれた乞食のおじさんもいた。

「ホントはビールあげたいんだけどな、金なくてな、ごめんな」といって、「頑張れよ」と僕に言った。

そんなある日、

後ろのベンチでFC琉球メンバーの一人(中心人物・よく僕をいびった人、僕との折り合いが悪かった)がじっと見ていた。

僕がやめてから3年ぐらいたっていただろうか。

パフォーマンスの後、彼は歩いてきて、僕の帽子に千円札をいれ、「カッコ良かったよ」と言った。泣いていたようだった。

みんな、みんな、もがいてる。

もしきみが優しくなりたかったら、きみが突き抜けるしかないんだよ。

いつかきみが、皆が楽しめる場所をつくれたら、なんて素敵なことだろうと思うよ。

苦しい場所だと、みんな簡単に誰かを傷つけたり、批判してしまう。

会社を批判しても、他人を批判しても、きみがそこにいるなら、何にも変わらないよ。

苦しくて自殺するぐらいなら、今すぐにやめちまって、

ぼーっとしてほしいよ。

女に走ったっていいし、毎日エロ本読んでたっていいよ。

金がなかったら苦しいよね

でも、本当にたいせつなものや、感動に出逢うかもしれないよ。

つっ走り出した勘違い野郎の僕を、沢山の人が支えてくれた。

今は名前も忘れた飲み屋のおばさん、通りかかったヤクザな兄ちゃん、大学生だった姉にはフラフラ期を支えられた。

千川に住んでいた暴走族関係しか友達がいない友人に久々に再会し、彼の実家に何度も居候した。

そいつの母さんが、「もうずっと住んだっていいよ」と言ってくれた時、本当に嬉しかった。でも「絶対に家を借りよう」ってその時、心に決めた。

とにかく、死にそうなぐらい苦しかったら、とにかく、死ぬなって伝えたい。

僕 がきみに会えているのだって、中学校の頃、ヤンキーとケンカして死にたくなってベランダから外を眺めていて、「死ぬのはあいつを今日殺して、それからだ」 とカッターをもって学校に行ったり、、そいつに会うと「殺すまで憎くはないな」と思えてダラダラまた死ぬ機会を逃した。

FC琉球でのあの日、「やめます」と言えなかったら、僕はどうなっていたかわからない。

とにかく、従来の「きみ(名前)(生まれ)(育ち)(親や他人の期待通り)」の人生から外れたその先は、

予測できない範囲なんだ

だから、自分には才能がないとか、俺はうまく行かないとか、自分の今まで経験してきた知っている範囲で考えちゃ駄目だ。

もっと知らないことが沢山あって、出逢ったことのない人達が未来で待っている。

きみが生きているだけで、もしかすると、素敵なことがあるかもしれない(きっと、今苦しいのなら、それよりは素敵なことが必ずあるはずだよ)

夢をもって頑張れ、と言っているんじゃない。

もっと、クズでいいし、汚くていい。弱くていい。正直でいい。

死ぬぐらいなら「しっかりしたやつ」なんかになるな。

僕の芸を好きで居てくれて、何かが響いているなら、きみにはきみの中の真っ赤な美しい魂が流れているんだ。

それは僕の友達だ。

どんな事をしてでも、生きてくれ

くやしいだろ

くやしさを忘れるな

踊り手として言っておきたいことがある。

きみがどんなに能力がないやつでも、クソ野郎だとしても、誰もきみの尊厳を傷つける権利はない。

命の尊厳は、能力や才能というような小さな問題じゃないからだ。機械社会クソくらえだ。

蔑まれたら疑え。きみは何故、「仕方ない」と泣き寝入りするのだろう。

闘えなかったら逃げ出せ。放棄しろ。きみを傷つけている場所から。

心が苦しくなったら、その苦しんでいるたった一つのきみの命のためだけに、きみの何かを賭けてみることだ。

きみのために思考し、生きろ。

他人から「わがまま」と嘲笑される大切なきみを守れ。

その道は、険しい道かもしれない。

でも、嘘をつくことを強要され、「上司」に気を使い、「能力」が上な奴らから蔑まれることよりは、苦しくない。

頑張れ。

 

 

 

2015

 


 

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岡部西小学校での講演(一年生から六年生、教師たちに向けて。父母多数。)

演題「僕の仕事」

 

(25分のパフォーマンスを終えた後に…)

これが何か知ってるかい?(千円札を見せて)
お金だね。
君たちのお父さんやお母さんが一生懸命働いてやっと貰えるお金です。

これはただの紙切れだよね

どうして大人は こんな紙切れ(お金)のために働くんだろう

僕はこれで(大道芸で)お金を貰う
時が違えば食べものや住まいだったはずだ
僕が生きるために必要なものを、人々はくれたはずだ。
またうたったり、踊ったりするまで生きぬくために必要なもの。

お金は 本当は やさしさなんだ

仕事もそう。本当は、誰かに何かをしてあげることなんだ

君たちは地球が出来て、今日まで続いてきた、命の先端にいるんだ。
君はお母さんから生まれて、お母さんはおばあさんから生まれ、おばあさんはひいおばあさんから生まれて、、、ずっとずっと必死に生き抜いてきた命の先っぽに、今、君のからだは生きているんだ。

テレビや携帯がなかった頃。ガスも電気も水道だってなかった頃。
自分たちの家を自分たちの手で建て、狩りをし、火を焚き、肉や魚を喰ったり。そこには君の古いおじいちゃんだっている。
その一番先に、今、君がいきている。

誰かに優しくした時、うれしいよね。
された時、うれしいよね。カラダが、喜ばない?
それは君まで命をつないできた沢山の人たちも、一緒に喜んでいるんだ。そうやって、苦しい時や悲しい時、みんなみんな命を繋いできたから。

惨めでも、負けっぱなしでも、どうにか生きてください。

あとひとつ、素敵なことがあるまで。もうひとつ、素敵なことがあるまで。そうやって生き抜いてください。

君が今、生きていることこそ、君に命を繋げてくれた人たちの夢や希望だからです。

今回、僕は子どもたちに夢や希望をあたえてほしいと、言われ、ここにやってきました。

夢や希望とはなんだろう

希望や夢とは、他人から与えられるものでなく、絶望と出会って目の前が真っ暗になった時に君自身が、たった一人で、生み出し、握る、小さな光です。

悲しいなとおもいながら、とぼとぼあるく一歩だったり、膝を抱えてたったひとり息することだったり‥

君たちは、中学生になったら「中学生」になれると思いますか?
高校生になったら「高校生」に‥、大人になったら「大人」になれると思いますか?‥

今の君がね、未来にいるだけなんだよ

頑張れって自分に言い聞かせて生きる君が。

最後に、僕の仕事ですが、

僕の仕事は、そうやって頑張って、たった一人の自分を生きることです。

これで僕の話は終わりです。

※本番はこの内容を元に、その場で絵を描くように少しの言葉で話しました。

誰にも言えないけれど、実はとっても、淋しいと感じている子に、届けばいいと思い、構成しました。

 

 

 

 

2016.2.16

 


 

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セバスチャン・サルガドの写真を初めて見た日

 

労働者の身体の美しさ、難民の、美しさに驚いた(大切な問題があると思った)

携帯電話の待ち受け画像にしていた時期もある

僕が高校に入り、コンビニ外でお菓子を食っていた頃、サルガドは難民を撮っていた。

ルワンダでの大虐殺に、遭遇し、人間を信じられなくなっていた

僕が大道芸を始めた頃、絶望し故郷に帰ったサルガドは、妻の発案から自身の荒れ果てた土地に樹を植えはじめた

機関銃で撃たれながら逃げ惑う人々。虫けらのような命。難民の行き着く先、彼らが生涯抱える問題を思うと、苦しい。難民の宿命。

サルガドが写した魂の震えは、時を経て、埼玉の片隅にいる僕の心臓へ、真っ直ぐに響いてくる

今、私たちがいるこの場所から過去にさかのぼっていくと、必ず戦争と、大虐殺と、拷問に行きつく

生きるってことは、生きているってことは、

現在進行形中の全てを、抱えているってこと。

楽しんで生きるのも、悲しいとつぶやくのも、知ってしまった人類史という大きな物語の中で。

そして、それをふまえた上で、楽しめないから、僕は、踊る

悲しみをなくしたいわけじゃない

しあわせになりたいわけじゃない

納得した人生を、生きたいだけだ

 

 

 

2015.11

 


 

「ある日の憂鬱」

 

義足ランナーを見た

世界陸上。

みんな感動するのかな

俺はしなかった

 

違和感

 

TVも新聞もニュースも。

 

走る前のストレッチから横の人そっちのけでカメラ5台くらいが取り囲む

同じ汗流して苦労してきた人間なのに。

となりの黒人が勝ったら悪いようじゃないか。

僕はその黒人に同情してしまう

 

義足ランナーの話だけど、僕は報道に問題があると思う

あのTV報道の感動を誘発しようという狙いに、臭いに、僕は悲しい事にまず、その義足ランナーを拒絶してしまう

 

スタート前のランナー、皆の顔をサッと映つし、テレビの前で視聴者が、

「あぁ、今義足の人がいたな」

それでいいのではないか

「義足はハンデキャップなのか?」

「バネ付いてて普通の足より早く走れるんじゃねーの?笑」

なんて会話があったっていい

 

報道の要らぬおせっかい

それがまかり通っている社会に僕は失望する

それによって綺麗に泣く人に僕は失望する

おれが見たいのは空なのだ

真っ白な空を見せておくれ

今日の夕焼けは明日への希望か

過去の淡い思い出か

浮かべるのは俺の自由だ

 

結局世界中が注目する中、義足ランナーは負けてしまったけれど

僕は胸が引き裂かれる思いだった

 

大変だっただろう

俺みたいなグジグジうるさいやつがいる事も知っていて

自国の選手にも他国の選手にも気を使い、報道にも首を傾げた日があったに違いない

気持ちとは裏腹に、またはラッキーか、、金も降ってきただろう

 

よく走った

お疲れさん

全部抱えて思いっきり前に走ったその足に僕は拍手するよ

 

走るから、傷つくんだ

走るから、わらうんだ

ありがとう

 

 

 

2011.8.31

 


 

書くのどうかと思ったんだけど書きます。今日は代々木にryuちゃんに誘われたんで

遊びがてらチャリティー大道芸

投げ銭全部募金に回すってヤツ

代々木公園のHHKホールがある通りに福島産の野菜や、募金箱がずらっと並ぶ

ユニセフ、足長募金、その他機関が若者、子供、アルバイト?、ボランティアに募金箱を持たせ、両サイドに連なっていた

ステージでは江戸はるみやそこそこ有名なお笑い芸人、歌手。

江戸はるみは終わったあとに「今日はどのような気持ちでステージに立ったのでしょうか…」と聞かれていて笑った

代々木公園がどよんと暗い

ただ歩いている人を無理やり捕まえて、バイトの子が「アクション for japan」のプラカードを持たせ写真を取ろうと必死

歩こうものなら「被災地ではたくさんの人が死んでいます。親をなくしています」の連呼

そんな中に、俺たちは出て行った