あと語り「ただ立つ」:星善之

あと語り「ただ立つ」星善之
(たじまアートキャラバン・知念大地大道芸スタッフとして参加)

たじまアートキャラバンとして来豊後、知念大地演出の公演『風の又三郎・NOW』(2021年1月30日(土)江原河畔劇場にて)に出演した俳優。
約2週間に及ぶ滞在の日記。

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ただ 立つ


 

 

立つ ことを 繰り返してみる

歴史の上に立っている。地面の上に立っている。地球の上に立っている。

宇宙の上に立っている。誰のためでもなく、自分のためでもなく。ヒトのために。

2021 年の 1 月は今後の自分の方針を決めるために、(今この瞬間に決まっている わけではない。のちにきっとそう感じることなので今のうちにそう宣言してお く)、必要な時間だった。

主に 1 月の話を日記形式で振り返ってみようと思う。

 

◉出会い

知念大地さんとの出会いは昨年の 9 月。豊岡演劇祭。日付は大地さんが『風の又三 郎・NOW』の当日パンフレットにコメントで書いてくれていた通り、9 月 10 日。 場所は江原河畔劇場前。奇しくも今回の上演が行われた、会場の前だった。

復活の舞。ピアノマンの衝撃もさることながら、その後のオドリに圧倒された。気 がついたら泣いていた。その時の衝撃を僕は Twitter にこう書いている。

 

 *

知念大地さんの『続・ひしと』を鑑賞。いや、体験。

感電。感動。感情。ひしめきあい、流れ込む情動。

こんな大道芸、見たこともなければ、体験したこともない。生きるとは何か。命と は何か。哲学的な作品。パフォーマーと観客という関係ではなかった。同じ人間同 士がそこにはいた。泣いた。圧巻。

 

手を伸ばせば絶対に届く位置にこの人は立ってくれている。演劇を見終わった後の 俳優に話しかけにくい(あくまで僕の主観だが)、あの感じとは違った。見終わっ た後、宿に向かうための車を待っている時に、「このまま帰ってはいけない」と思 った。足を 90 度回転させて、公演を終えて疲れているであろう大地さんの元に駆 け寄った。

手が届いた。話してみると、ヒトだった。僕が理想としている立ち方がそこにはあ った。疲れているなか、丁寧に話を聞いてくれて、僕の存在を受け止めてくれた。 感動を伝えたのは覚えている。どの言葉を選んだのかはわからない。

あの時の僕と交信したいが、もうできない。けれども、次の言葉だけは覚えている。

「冬に来ます! 」

なんの確証もなく、けれども、確かな自信があって、その一言を伝え、僕は帰っ た。

 

◉言霊

知念大地サポートスタッフ募集の案内を見たのは、豊岡を去って割とすぐだった。 10 月 27 日。地元福島県西会津町で滞在制作をしているときに、この案内が目に飛 び込んだ。呼ばれた気がした。9 月 10 日に発した言葉に。足の裏に熱が帯びた。

行こう。

 

◉現地入り

2021 年 1 月 11 日。現地入り。冬の豊岡は身体に優しい寒さを帯びていた。大好 きな冬の空気が豊岡にあった。道には雪がある。とても、いい。明日から始まる。

 

◉どっどど どどうど どどうど どどう

2021年1月12日。

 

12 日間。

これは宮沢賢治「風の又三郎」に登場する高田三郎が村に転校してきて、また他の 所へ転校して去っていくまでの期間である。

遊びを通して子供たちが魔を取り除いていく 12 日間。そして魔と二度と出会えないことを約束された 12 日間。

12。この数字には、循環を感じる。そして終わりを感じる。

知念さんが言っていた。「ずっと風の又三郎をやりたいと思っている」 知念さんのことはまだ何にもわからないけれども、この作品をやりたいというのが すごく納得がいく。

改めて風の又三郎を読み、映画を見て、朗読を聞いた。

どっどど どどうど どどうど どどう! 風の神様に導かれた子供たちの物語。それは現実なのが空想なのか。子供の描いた 御伽噺なのか。大人になってからも語られ続ける奇妙奇天烈な 12 日間。

終わりを示す 12 なのか、循環を示す 12 なのか。13 へ続くのか 1 に戻るのか 0 に なるのか。

僕が関わる 13 日間の公演。今日、僕の中の又三郎が顔を覗かせた。

 

 

2021年1月12日 たじまアートキャラバン本番前

 

◉風と大地、土地

2021年1月13日。

 

幼稚園公演。

なんて素敵な旅なんだろう。旅というのは新しい自分に出逢わせてくれる、気づか せてくれる。土地との出会い、人との出会い。その両方がある。

風が吹く。大地さんの公演は、より効果的な換気をしてくれる。新しい風を入れている。心地

が良い。

ふと思う。移住してきた人たち。大道芸をする大地さん。

この人たちにとっての地元とはなんなのだろう。それは翻って自分にとっての地元 とはなんなのだろうか。故郷とはなんなのだろう。不意に、自分にとっての地元が 地元ではないように感じ始めた。それは、魂の地元が地元にはない。そう思うの だ。この気持ちを友人のアーティストに伝えてみた。返事はない。

風が吹き、大地が揺れた。魂は風に飛ばれ、どこへ着地するのか。まわり巡って、ここに帰ってくるのだろうか。

公演後のお昼休憩。風の又三郎の構想を聞く。すごいな。聞くだけでテンションあ がるよ。

 

 

◉大人、おとな、小人、こども、人間という構造

2021年1月14日。

 

感情が迸る。純度の高い、紛い物ではない、ヒトの魂を所有する人の感情だ。

突き刺さる。研ぎ澄まされた刃は誰の心にも届くものだ。切れ味鋭い、名刀の一振 り。その細腕が振り下ろした、感情の一閃。

対等、とは、認め、尊重することだ。他人と自分とを。

認めるということは、人という容れ物の中に存在している“ヒト”の魂を、立場など は関係なく、“ヒト”として互いに尊重するということだ。“ヒト”は“イヌ”でも“ネコ” でもない。僕らが人を人として認識している、その核のことだ。

「大人」「小人」という立場としてではない。ヒトとして生きているその魂をはっきりと認めることで、初めて人間という社会構

造に対等というものが生まれてくる。その状況は、喜びだ、と思う。

 

対等。帯刀。

 

認めることを、忘れてしまっているのではないか。 今日の終わりに語られた言葉は、過去のものにはならない。

少なくとも僕の胸には、今も残り続けている。そしてこれからも残り続けていく。あの少年だけではない、周りの子達にももちろん残っていくだろう。

 

◉身体に残るもの と カンゲキ

2021年1月15日。

 

こんなにも身体とは雄弁なのか

<知念大地>と名が付けられた精神体を宿す身体は雄弁だ

昨日の出来事を受けてなのか、身体に流れる緊張感がとてつもなく増している

それはどうやって獲物を捉えるかを本能的に考えている野獣に似ている

野獣と違うのは知恵や考えがあること

言語を有しているということ

だからただ野生的な戦闘モードではない

知性を兼ね備えた野獣だ

のち、劇団「青年団」の小学校訪問公演を拝見。

知念さんのコメントを聞いて、自分の言葉を準備することもできなくなった。

 

◉舞に始まり、舞に終わる

2021年1月16日。

 

急遽決まった「風の又三郎」公演のための顔合わせ兼打ち合わせを知念家で行う

共演者の申瑞季(シン!ソゲ)さんにもご挨拶

まずは今回の学校訪問公演の新しいトレーラーができたから見せてもらった

その後におどりの映像も見せてもらった

生き生きとした身体 僕は自然と立っていられる身体が好きだから

やはり<知念大地>の身体が持つ力が好きなのだと認識した

その後「風の又三郎」の構想を聞く! 宮沢賢治が好き、風の又三郎も知っている、という前情報は特に関係ない

原作よりもむしろ「風ノ三郎」伝説を感じさせる内容だった。

 

◉おどり

2021年1月17日。

全てに意志を宿し、意志を外す

身体には癖がある 癖は自然の摂理のように見えて、ただのノイズだ

おどりの身体にはノイズがない 純度100%の身体がそこにあるだけだ

理論武装された身体を無くそう

舞台の上ではいつ人が死んでもおかしくない

舞台の上は守られているようで守られていない

山の中で経験してきた死が隣り合わせのあの感覚に似ている

安全なようで安全ではない

死にそうで死にはしない

 

僕の身体はそれを持っているはずだ

イメージではなく その場に存在してくれ

 

 

◉舞に始まり、舞に終わる

2021年1月19日。

 

<知念大地>の悩みの形、オドル形

これには生きる形が前提として存在している

 

大道芸というパフォーマンスで、オドリから始まるものを見たことがない

いわゆる「大道芸」で想像するものとは違う

どうしても曲芸を想像してしまう それは僕も同じだ

 

2020 年 9 月に大地さんに出逢わなかったら、僕はこれほどまでに生きている身体 と死んでいる身体に興味を持たなかっただろう

今回のたじまアートキャラバンを通してこどもたちが大地さんと出会うことにどれ ほどの意味があるのだろう

そしてそのことをどれだけ大地さんが考えているのか

それを近くで一緒になって考えている

あくまでも観察者として、体験者として、などとあぐらをかいて、のうのうと生き ていくわけにはいかない

 

どうして自分ごとにできないのか

人生は自分のものだ 誰かに委ねてはいけない! 何かを身体に貼り付けてはいけない

タレ、のために一生懸命に考え、披露し、感覚を受け取り、成長させていく

 

いつからだろうか
どうせ枯れる人生、死にゆく人生 と悟った風なことを言い出したのは

 

まずは生きてみろ それからだ 死ぬことを考えるのは

 

◉稽古二日目 2021年1月20日。

削ぎ落とすってなんだ。二日目が終わる。

 

◉セカイ 巡礼

2021年1月21日。

 

巡礼は、神のためにやっていることだが、あんな苦行とわかっていることを進んで 行うことに、なんの意味や目的があるのだろう

彼らは、なんとなくはやっていない

確かに目的や意味を、感覚的にでも捉えながら、行動で示すようにしている。

僕の旅は

 

◉屍人

2021年1月22日。

 

橋で踊る<知念大地>を見て、興奮する人々。

彼がやっているのは曲芸ではない。ただのお騒がせでもない。

 

芸人だ、と彼はいう。

芸人だ。そしてオドリ手だ。何よりも、ヒトだ。

その要素を全て排除した何者でもない彼が、橋の上にいた。

帰ってきた彼は、芸人だった。ヒトだった。

 

この世で一番美しいもの。それは屍人。オドル<知念大地>は屍人だ。

 

◉オドッテ イル 持続

2021年1月23日。

 

削ぎ落としていく。肉も思想も、人間も。

何にもよりかからず、何にも頼らず、強く生きていく。

 

本気で怒った人を見たときに美しさを感じた大地さんの感覚は、わからなくもな い。

自分自身、全てがプツンと切れて、全力で感情が放出されてしまい、それでも自分 がそこにあって、そこから自分以外の何にもなれない時、それまでの自分が消え て、ただの肉体と飾らない自分が、凶器みたいな花となってそこに立っていたこと がある。

雪の中に立っている時が、まさにそれに近い。

音もなく、なんのために自分が存在しているのか。

 

大地さんはいう。

解放も違う、負荷も違う。

何もしなくても、そこにあればいい。

オドッタ気になってはいけない。

オドッテいる時は、何もわからない時。

オドッテいる時は、言語も超える、人種も超える。全人類と友達になれる。

存在がそこにあるのがわかる。

 

それを持続させる。一瞬ではだめ。持続。

 

◉目まぐるしく変わっていく

2021年1月25日。

変わっていく台本、演出

なんとか縋り付いていく 縋り付くだけで自分から何かをする頭は回らない

セリフがつけ加わったり、消えたり

 

どこにいくのだろう。

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2021 年 1 月25日

江原河畔劇場での稽古風景

◉コトのハ を なくした

2021年1月26日。

言葉を持たない多くの大人たちが 言葉を持たない子供に憧れをいただき

間違った過去への逃走を図る
言葉を持たない多くの大人たちにも 言葉を持たない子供にも
共通する 芯 が存在する
この 芯 だけが人間を人間たるものにしている

その人間の部分で人同士が意思疎通を図ることで本当の交信、交流が生まれてくる

 

 

言葉をなくした風に
誰の言葉かわからない 人ではない言葉を話させる

 

 

思い出の歌は違う 意味を持たない音
感情を司どるもの 何か予想を裏切るもの 覚えていないもの! 覚えているようで 忘れてしまったもの

 

言葉を失った俳優が行き着く先は

身体 身体もまた言葉

 

削ぎ落とす 舞台の上ではとことん削ぎ落とす

言葉も、身体も

 

あるのは、人間を存在たらしめる その何かだけ

 

◉風は気まま 気ままでも 気もない気まま

2021年1月27日。

 

人は失うことを恐れている

金も、地位も、名誉も

 

だけど最も失うのが怖いもの

きっとそれは言葉だろう

 

通し稽古が終わった

久しぶりに何かをやり切ってしまった

また一つ削いだ 殺がれた

 

これまでの人生で集中力を切るなと何度も言われてきたが

今回は、それは消えてないっぽい

 

 

◉顔は多くを物語る 身体は全てを物語る

2021年1月28日。

 

ふと思ったことを書いておく。

死ぬ間際の、死にきれなかった祖母がヨボヨボの足で家の階段を登るのを介助した ことがある。いや、正確にはしていない。ただ、隣で手も差し伸べず、涙を流すこ ともなく、同情することもなく、何もできないことへの後悔とも呼べない、形容す ることもできない感情と戦いながら、30 分ぐらいかけて、7 段の階段を祖母と一緒 によじ登った。

 

あの 7 段、祖母の隣にい続けた。早く逃げ出したかった。けれども逃げ出すことも できなかった。手を差し伸べることも、手を引っ込めることもできない。

 

長い、長い、長い、長い、長い。

 

ヨボヨボの人に手を貸すことで優越感に浸りたくもなく、けれども逃げ出した劣等 感に苛まれたくもなく、僕はそこに居続けた。苦しかった。死にたいと思った。生 きたいと思った。

 

僕の行動は間違っていたのかもしれないが、自分の中では強烈な体験として残って いる。母にそのことを話したが、なんと言われたか覚えてない。

 

あの 30 分が、あの祖母の死体が、今、僕の中にある。

 

あの時、僕と祖母とが初めて、二人っきりで、語り合った、そしてそれが、最後だ った。

 

それまで祖母と話したこともあんまりなかった僕にとっての、唯一無二の祖母との 思い出。

 

今日のこと。

あ、嘘ついてるな。と思ったら、やっぱりバレている。

大地さんはそれを見逃さない。すぐに指摘する。

いい時はいいと、ダメな時はダメと。大地さんの理想とするオドリは誰でもその状 態になれると、大地さん信じている。なんて人だ。そしておそらくそれは間違って いない。信じられる。信じられない夢想家の話ではない。信じられるリアリストの 発言だ。

僕は自分を信じていない。と今まで言ってきた。

自分のことが嫌いで、自分の経験など浅はかなものであると。

 

自分を彩る全てのものに価値がない。だから、操り人形のように言われたことをひ

たすらにこなせるようになる。自分は容れ物だ。そう思っていた。

けれども、それは間違っている。というか見当違いだ。

 

僕らがやるべきことは、知識や経験、地位や名誉の服を、着ないことだ。

これらは、意図的に自分と接しないところにおいておく必要がある。

服は密着する。密着すると、肌が呼吸を忘れる。

だから、それは、部屋のどこかに置いておいて、必要な時には使うようにする。

それぐらいがちょうどいい。

何も着ていない自分をもっと見つめる。

恥ずかしい、ただただ恥ずかしい。けれども、その恥ずかしさと戦う。

 

僕はやっぱり自然が好きだ。というか、外が好きだ。

夜中、雪が空間を埋め尽くしていた。その中を爆走した。上を見上げた。どこまで も雪だった。雪。雪。美しい。音を吸収してくれるあいつらは、僕を僕と認めてく れる時間をくれる。

この中に一生いられたら。カマクラに一生入っていたいと思った小さい頃の気持ちを思い出す。

そして、それは今でもある。今でもあるんだ。それを信じろ。失うわけがない。ただ、見えない位置に埋もれてしまっただけ。 掘り起こせ。
掘り起こすためには削ぎ落とせ。それを信じろ。信じることを、間違えるな。

 

僕を、僕を、僕を、僕を、ただ、僕を信じろ。それだけは裏切らない。裏切るのも自分だ。

 

 

◉明日の本番を前に

2021年1月29日。 「演技ができなくなって、どうしたらいいかわからない状態にいる」

大地さんの観察眼は鋭い。洞察力というべきか。 僕は一言も「演技というものが分からず、そもそも演劇というものが分からなくな っている」旨を伝えたことはない。

ただ、稽古を通して、大地さんは僕が最も輝く方法を考えている、というのが伝わ ってくる。

ソゲさんは「大地さんは愛の人間」と評していた。

僕もそう思う。そしてその愛はむき出しなのだ。だから知らないうちに怪我をさせ てしまう。愛とは、時に凶器にだってなる。難しい。だが、それがわかっていれ ば、なんてことはない。

「全てを剥ぎ取って、何にも支えられず、何にも頼らず、誰にも明け渡さず、ただ そこにある、ということだけをやる」

それだったら、僕にもできると思った。

生きていく中で自分が作り上げてきた感情やらなんやを全て剥ぎ取ればいいんだ。 難しいかもしれないけど、誰にでもできることなら、僕にもきっとできるはずだ。 だって、できない人はいないのだから。

 

信じていたとしたら、人はハダカになれる。! それを信じて、この 1 週間ぐらいの旅を歩んできた。

 

舞台上では嘘をつきたくない。

僕は何もできないけど、舞台の上に立つことならできる。

それしか、できないから、それをやる。

ただ、それだけだ。

 

明日は本番。まとまらない。さて、剥ぎ取った自分の身体を舞台の上に置いてこよう。

 

 

◉どこへ、どこへ行くのだろうか

 

2021年1月30日。

風が吹いた 風が吹いた

風は吹き終えた 風は止んだ

 

どこへ行ってしまったのか 風を見失ってしまった

風が止んだ 風は止んだ

ところで 風はどこからやってきて どこへいくのだろう

風の出発点をあなたは知っているだろうか

風の終着点をあなたは知っているだろうか

 

風が生まれる瞬間に立ち会えたことはない

風が死ぬ瞬間にも立ち会えたことはない

 

ふと意識を失う 僕の中が無風状態になる

その瞬間に風が生まれもしているし、死んでもいる

しかし、僕はそれを認識できない 無意識だから

 

また風が吹いてきたら

暖かく迎え入れよう

 

これで日記はおしまい

 

◉あと語り「ただ 立つ」
ただ 立ってみる。 歴史的な何かがあった場所に、誰かの思い出があった場所に、舞台に、日常に。

「ただ立つことすら許されないのか」
「全てを削ぎ落として、ただそこにある」

12の次を見つけに行こう。 2021 年 2 月 星善之

 

 

 

 

 

 

星善之

福島県西会津町出身。茨城県取手市在住。創作ユニット「ほしぷろ」を主宰。

2016年から2019年まで劇団「百景社」に所属。退団後も演劇を中心に据えた作品創作 を行う。年齢を問わずに作品を楽しんでもらうため、広く知られている童話や小説

を題材として、再構築・上演するスタイルを取る。主な上演作品は『よだかの星』 『おきなぐさ』『やまなし』『高瀬舟』。2021
年 2月より「立つ」活動を開始。

 

 

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