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知念大地プロフィール

知念大地(大道芸・おどり)
20歳、東京・池袋の路上で大道芸と出会う。コロナ禍の現在、但馬地域学校訪問公演で活動する傍ら、自らの芸の芯に迫る探究・踊りによる作業を継続中。

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城崎meets大道芸終演ー危惧と祈りー

 

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「城崎meets大道芸終演ー危惧と祈りー」2021.3.24

乱筆失礼、気持ちが冷めないうちに。

 

はじめに、共催頂いた豊岡市、ご協力頂いた城崎温泉観光協会、温泉寺の皆様に感謝いたします。

そして、コーディネーターの松岡大貴さん、渡辺瑞帆さん
地域おこし協力隊として活躍されているお二人の、時間をかけた城崎との交流がなければ決して実現しなかった企画でした。
ありがとうございました。

そして今回、フェスティバルの進行諸々を引き受けてくださった制作・奥村優子さん。様々な大道芸フェスティバルやサーカス運営に関わり、今も現代サーカスを育み開かせている奥村さんならではの芸空間への気配り、心強く、感動しました。感謝してもしきれません。

そして、スタッフ(豊岡市で地道に活動を続けていらっしゃる地域おこし協力隊の方々、城崎国際アートセンタースタッフとして活動されている方、音楽の現場に携わっている方、演劇を学んでいる学生の方、、。)の経験や真剣さからくる現場・観客に対する丁寧な対応に城崎meets大道芸は支えられ、成立しました。ありがとうございます。

足を止め楽しんでくれた皆さん、足を運んでくださった皆さんも、ありがとう!

私の視点から、このフェスティバルを振り返ってみようと思います。

城崎meets大道芸の初動から携わらせてもらった、私の中に貫かれていた大道芸人としての意志について。

城崎meets大道芸は「意志のある」大道芸フェスティバルでした。

美しい演目、可笑しい・ビックリ!のクラウン芸など、盛り上がったのは勿論の事、直視し続けることが辛くなるような、生々しい演目・瞬間もありました。

その様々が「在れた」ことについて、いかにそれが重要な事であったかを記したいと思います。

今回初めて大道芸と出逢った方は、高さや面白さ、通行人や観客を巻き込む芸、圧倒的な技術などにまず、驚いた事でしょう。
そして何より、

*現場の光景(繋がり・あらゆる個が在れる路上空間)に驚いたのではないでしょうか。*

 

街行く人を集め、盛り上げ、人垣を作り、稼ぐ芸人は沢山います。

「盛り上がった街の様子」や「こどもの笑顔」だけを欲するならば、それを引き出す・生み出す事の出来る芸人は沢山いるのです。

その様な芸に頼り、一時的消費を繰り返し、何になるのかと、私は芸の道を歩みならがら感じてきました。

出来るなら、同じ芸人を三度は見てみてください。初見では技や新しさに目がいくかもしれませんが、次第に芸人の本質が見えてくると思います。

空間に心を傾けている芸人は少ないのです。

街も、人も、真っ当に、成熟して行かねばならない。

私は芸人であるため、いい芸ほど、危うく、ギリギリで己の命と会話をし、やっとこさ成り立っている事を知っています。「形」でない場所で勝負をし、またはそこに向かうような、「非商品」の形状をとっていると考えます。

その様な芸は拍手や感動の先、むしろ魂にまで届いてしまった場合、「対価」の観念が崩壊してしまうため、立ち去りたくさえなるかもしれず、投げ銭も入りづらいのです。

その様な芸はすぐに言葉で切り取られ、SNSで発信される事とは縁遠く、口には出せず、繰り返し足を運び見続ける事しか出来ないのではないかと感じます。よって、インターネットを頼りに見つける事は出来ません。その様な芸が、あるのです。

私はその様な芸に出逢うと震える人間ですし、実は今、多くの人が、そういうものを「見たい」と感じている時代なのではないでしょうか。

今回声をかけた芸人は、それぞれ現れ方は違えど、私から見れば、ある種の確かな眩(まばゆ)さを持った芸人たちでした。

驚いたのは

城崎で、雪竹太郎が受け入れられていた(時に見守られ、ある時は遠くから、ある時は熱いまなざしを注がれ、無事ショーを終えた)事実です。※他の出演者については「受け入れられないことはないだろう」という確信がありました。

今、この瞬間の街に息ずく様々なもので織り成される彼の芸(人間美術館は無音、リコーダー演奏の回ではスピーカーから小さく音楽を流す程度)が、城崎である種の驚きを持って迎え入れられたことは凄いことだと思います。
包容力があり、成熟した眼を持った人間がいることの証。
静寂を味わう事が出来る、誇り高い街なのだと感じました。

その成立の裏には、「大道芸」を紹介する際の広報も影響していたのではと考えます。
例えば、フェスティバルの顔となるポスターとチラシのデザイン。
・商品化され消費されていく大道芸フェスティバル、大道芸業界に初めから問題提起をし続けてきた存在、大道芸人雪竹太郎をメインに起用したこと。
・芸人の姿だけを切り抜くのではなく、芸をしている空間を含めた写真による芸人紹介(大道芸は場所と切り離せない故)。
など、僕はこれらの作業に、大道芸・芸人に対する敬意を感じました。

芸人達は観客と交わり、気持ちよくショーを終えた様子でした。

今回、城崎meets大道芸に立ち会った皆さん、いかがでしたか?

その鮮度に驚き、その芸人が放つ気配そのものに
懐かしさを感じなかったでしょうか。

あの場に共にいた喜びや、偶然吹いた風が
まだあなたの中に残ってやいませんか?

「大道芸」のイメージが、変わった方もおられるのではないでしょうか。

 

観客・芸人・スタッフともに素晴らしく、反響もあった城崎meets大道芸ですが、
この興奮と感動に対し、私から伝えておかねばならないことがあります。

街は大きくなるにつれ、淋しさや弱さ、小ささ、たどたどしさを疎むようになります。

もし、この次があるとしたら、観客の反応や集客だけに眼を奪われないでください。

私の考える「芸人」は、路上(道端)で、時に本当に淋しく、惨めで、あまりにも裸です。(大道芸の場合、「芸術を見る」という視点で人々は眺めないのですから※それでいいのです。)
しかし、理解ある方は、諸々を剥ぎ取り次第に命に成り果てた芸人が、どれほど素晴らしい光であるかを見抜き、その芸が、目の前の観客を飛び越え、街の暖かさに貢献していることを感知するでしょう。

私がお願いしたいのは、その光(たとえ万人が理解できるとは言い難いものであっても)をどうか、経済的観点からのみの判断で、消さないでくださいということです。

今回の城崎meets大道芸はその様な光の粒子を携えた芸人たちが「在れた」、豊潤な空間だったと思います。

例えば私の大道芸は、”もう笑いたくない”と思っている人間の為にこそ在ります。
空っぽの人間の魂とこだまする為に在ります。

 

その場では完結しない、人間たちが紡いできた、空や街を飛び交う祈りについて。

 

 

 

 

知念大地

 

*追記

着眼点として。

一見ワイルド・危険なEPPAIが、何故、子どもたちからあんなにも愛されるか
現場の子どもたちは異様にワクワクし、そしてリラックスしている。

何故、雪竹太郎が立っている場所、芸をしている空間は変容するのか。
光が、空間が、身体が、混じってくる。

StreetEntertainerRYUの芸のあの輪郭
角が崩れて手になった。あの輪郭、が、触れている暖かさについて。
何故、皆が穏やかに(凄技を押し付けられるのではなく)見られるかの不思議について。

うつしおみ
目黒陽介の水の様なジャグリングと、声。単独者の気配。
長谷川愛実の「性別を売りにしない」ようせいの様な、子どものような、からだ(それは静かで、、それだけでなく、、)

 

 

このようなものを見抜き、腹に据えなければ
人はいつまでも
快感(または驚き)と上手く歩めない、快感の奴隷です。

 

 

ーーー

最後に、この文章の修正・校正に関わってくれた妻・知念史麻(劇団青年団・俳優)と「たじまアートキャラバン/知念大地大道芸・おどりチーム」制作・加藤奈紬さん(地域おこし協力隊)に、ありがとう。

 

あと語り「ただ立つ」:星善之

あと語り「ただ立つ」星善之
(たじまアートキャラバン・知念大地大道芸スタッフとして参加)

たじまアートキャラバンとして来豊後、知念大地演出の公演『風の又三郎・NOW』(2021年1月30日(土)江原河畔劇場にて)に出演した俳優。
約2週間に及ぶ滞在の日記。

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ただ 立つ


 

 

立つ ことを 繰り返してみる

歴史の上に立っている。地面の上に立っている。地球の上に立っている。

宇宙の上に立っている。誰のためでもなく、自分のためでもなく。ヒトのために。

2021 年の 1 月は今後の自分の方針を決めるために、(今この瞬間に決まっている わけではない。のちにきっとそう感じることなので今のうちにそう宣言してお く)、必要な時間だった。

主に 1 月の話を日記形式で振り返ってみようと思う。

 

◉出会い

知念大地さんとの出会いは昨年の 9 月。豊岡演劇祭。日付は大地さんが『風の又三 郎・NOW』の当日パンフレットにコメントで書いてくれていた通り、9 月 10 日。 場所は江原河畔劇場前。奇しくも今回の上演が行われた、会場の前だった。

復活の舞。ピアノマンの衝撃もさることながら、その後のオドリに圧倒された。気 がついたら泣いていた。その時の衝撃を僕は Twitter にこう書いている。

 

 *

知念大地さんの『続・ひしと』を鑑賞。いや、体験。

感電。感動。感情。ひしめきあい、流れ込む情動。

こんな大道芸、見たこともなければ、体験したこともない。生きるとは何か。命と は何か。哲学的な作品。パフォーマーと観客という関係ではなかった。同じ人間同 士がそこにはいた。泣いた。圧巻。

 

手を伸ばせば絶対に届く位置にこの人は立ってくれている。演劇を見終わった後の 俳優に話しかけにくい(あくまで僕の主観だが)、あの感じとは違った。見終わっ た後、宿に向かうための車を待っている時に、「このまま帰ってはいけない」と思 った。足を 90 度回転させて、公演を終えて疲れているであろう大地さんの元に駆 け寄った。

手が届いた。話してみると、ヒトだった。僕が理想としている立ち方がそこにはあ った。疲れているなか、丁寧に話を聞いてくれて、僕の存在を受け止めてくれた。 感動を伝えたのは覚えている。どの言葉を選んだのかはわからない。

あの時の僕と交信したいが、もうできない。けれども、次の言葉だけは覚えている。

「冬に来ます! 」

なんの確証もなく、けれども、確かな自信があって、その一言を伝え、僕は帰っ た。

 

◉言霊

知念大地サポートスタッフ募集の案内を見たのは、豊岡を去って割とすぐだった。 10 月 27 日。地元福島県西会津町で滞在制作をしているときに、この案内が目に飛 び込んだ。呼ばれた気がした。9 月 10 日に発した言葉に。足の裏に熱が帯びた。

行こう。

 

◉現地入り

2021 年 1 月 11 日。現地入り。冬の豊岡は身体に優しい寒さを帯びていた。大好 きな冬の空気が豊岡にあった。道には雪がある。とても、いい。明日から始まる。

 

◉どっどど どどうど どどうど どどう

2021年1月12日。

 

12 日間。

これは宮沢賢治「風の又三郎」に登場する高田三郎が村に転校してきて、また他の 所へ転校して去っていくまでの期間である。

遊びを通して子供たちが魔を取り除いていく 12 日間。そして魔と二度と出会えないことを約束された 12 日間。

12。この数字には、循環を感じる。そして終わりを感じる。

知念さんが言っていた。「ずっと風の又三郎をやりたいと思っている」 知念さんのことはまだ何にもわからないけれども、この作品をやりたいというのが すごく納得がいく。

改めて風の又三郎を読み、映画を見て、朗読を聞いた。

どっどど どどうど どどうど どどう! 風の神様に導かれた子供たちの物語。それは現実なのが空想なのか。子供の描いた 御伽噺なのか。大人になってからも語られ続ける奇妙奇天烈な 12 日間。

終わりを示す 12 なのか、循環を示す 12 なのか。13 へ続くのか 1 に戻るのか 0 に なるのか。

僕が関わる 13 日間の公演。今日、僕の中の又三郎が顔を覗かせた。

 

 

2021年1月12日 たじまアートキャラバン本番前

 

◉風と大地、土地

2021年1月13日。

 

幼稚園公演。

なんて素敵な旅なんだろう。旅というのは新しい自分に出逢わせてくれる、気づか せてくれる。土地との出会い、人との出会い。その両方がある。

風が吹く。大地さんの公演は、より効果的な換気をしてくれる。新しい風を入れている。心地

が良い。

ふと思う。移住してきた人たち。大道芸をする大地さん。

この人たちにとっての地元とはなんなのだろう。それは翻って自分にとっての地元 とはなんなのだろうか。故郷とはなんなのだろう。不意に、自分にとっての地元が 地元ではないように感じ始めた。それは、魂の地元が地元にはない。そう思うの だ。この気持ちを友人のアーティストに伝えてみた。返事はない。

風が吹き、大地が揺れた。魂は風に飛ばれ、どこへ着地するのか。まわり巡って、ここに帰ってくるのだろうか。

公演後のお昼休憩。風の又三郎の構想を聞く。すごいな。聞くだけでテンションあ がるよ。

 

 

◉大人、おとな、小人、こども、人間という構造

2021年1月14日。

 

感情が迸る。純度の高い、紛い物ではない、ヒトの魂を所有する人の感情だ。

突き刺さる。研ぎ澄まされた刃は誰の心にも届くものだ。切れ味鋭い、名刀の一振 り。その細腕が振り下ろした、感情の一閃。

対等、とは、認め、尊重することだ。他人と自分とを。

認めるということは、人という容れ物の中に存在している“ヒト”の魂を、立場など は関係なく、“ヒト”として互いに尊重するということだ。“ヒト”は“イヌ”でも“ネコ” でもない。僕らが人を人として認識している、その核のことだ。

「大人」「小人」という立場としてではない。ヒトとして生きているその魂をはっきりと認めることで、初めて人間という社会構

造に対等というものが生まれてくる。その状況は、喜びだ、と思う。

 

対等。帯刀。

 

認めることを、忘れてしまっているのではないか。 今日の終わりに語られた言葉は、過去のものにはならない。

少なくとも僕の胸には、今も残り続けている。そしてこれからも残り続けていく。あの少年だけではない、周りの子達にももちろん残っていくだろう。

 

◉身体に残るもの と カンゲキ

2021年1月15日。

 

こんなにも身体とは雄弁なのか

<知念大地>と名が付けられた精神体を宿す身体は雄弁だ

昨日の出来事を受けてなのか、身体に流れる緊張感がとてつもなく増している

それはどうやって獲物を捉えるかを本能的に考えている野獣に似ている

野獣と違うのは知恵や考えがあること

言語を有しているということ

だからただ野生的な戦闘モードではない

知性を兼ね備えた野獣だ

のち、劇団「青年団」の小学校訪問公演を拝見。

知念さんのコメントを聞いて、自分の言葉を準備することもできなくなった。

 

◉舞に始まり、舞に終わる

2021年1月16日。

 

急遽決まった「風の又三郎」公演のための顔合わせ兼打ち合わせを知念家で行う

共演者の申瑞季(シン!ソゲ)さんにもご挨拶

まずは今回の学校訪問公演の新しいトレーラーができたから見せてもらった

その後におどりの映像も見せてもらった

生き生きとした身体 僕は自然と立っていられる身体が好きだから

やはり<知念大地>の身体が持つ力が好きなのだと認識した

その後「風の又三郎」の構想を聞く! 宮沢賢治が好き、風の又三郎も知っている、という前情報は特に関係ない

原作よりもむしろ「風ノ三郎」伝説を感じさせる内容だった。

 

◉おどり

2021年1月17日。

全てに意志を宿し、意志を外す

身体には癖がある 癖は自然の摂理のように見えて、ただのノイズだ

おどりの身体にはノイズがない 純度100%の身体がそこにあるだけだ

理論武装された身体を無くそう

舞台の上ではいつ人が死んでもおかしくない

舞台の上は守られているようで守られていない

山の中で経験してきた死が隣り合わせのあの感覚に似ている

安全なようで安全ではない

死にそうで死にはしない

 

僕の身体はそれを持っているはずだ

イメージではなく その場に存在してくれ

 

 

◉舞に始まり、舞に終わる

2021年1月19日。

 

<知念大地>の悩みの形、オドル形

これには生きる形が前提として存在している

 

大道芸というパフォーマンスで、オドリから始まるものを見たことがない

いわゆる「大道芸」で想像するものとは違う

どうしても曲芸を想像してしまう それは僕も同じだ

 

2020 年 9 月に大地さんに出逢わなかったら、僕はこれほどまでに生きている身体 と死んでいる身体に興味を持たなかっただろう

今回のたじまアートキャラバンを通してこどもたちが大地さんと出会うことにどれ ほどの意味があるのだろう

そしてそのことをどれだけ大地さんが考えているのか

それを近くで一緒になって考えている

あくまでも観察者として、体験者として、などとあぐらをかいて、のうのうと生き ていくわけにはいかない

 

どうして自分ごとにできないのか

人生は自分のものだ 誰かに委ねてはいけない! 何かを身体に貼り付けてはいけない

タレ、のために一生懸命に考え、披露し、感覚を受け取り、成長させていく

 

いつからだろうか
どうせ枯れる人生、死にゆく人生 と悟った風なことを言い出したのは

 

まずは生きてみろ それからだ 死ぬことを考えるのは

 

◉稽古二日目 2021年1月20日。

削ぎ落とすってなんだ。二日目が終わる。

 

◉セカイ 巡礼

2021年1月21日。

 

巡礼は、神のためにやっていることだが、あんな苦行とわかっていることを進んで 行うことに、なんの意味や目的があるのだろう

彼らは、なんとなくはやっていない

確かに目的や意味を、感覚的にでも捉えながら、行動で示すようにしている。

僕の旅は

 

◉屍人

2021年1月22日。

 

橋で踊る<知念大地>を見て、興奮する人々。

彼がやっているのは曲芸ではない。ただのお騒がせでもない。

 

芸人だ、と彼はいう。

芸人だ。そしてオドリ手だ。何よりも、ヒトだ。

その要素を全て排除した何者でもない彼が、橋の上にいた。

帰ってきた彼は、芸人だった。ヒトだった。

 

この世で一番美しいもの。それは屍人。オドル<知念大地>は屍人だ。

 

◉オドッテ イル 持続

2021年1月23日。

 

削ぎ落としていく。肉も思想も、人間も。

何にもよりかからず、何にも頼らず、強く生きていく。

 

本気で怒った人を見たときに美しさを感じた大地さんの感覚は、わからなくもな い。

自分自身、全てがプツンと切れて、全力で感情が放出されてしまい、それでも自分 がそこにあって、そこから自分以外の何にもなれない時、それまでの自分が消え て、ただの肉体と飾らない自分が、凶器みたいな花となってそこに立っていたこと がある。

雪の中に立っている時が、まさにそれに近い。

音もなく、なんのために自分が存在しているのか。

 

大地さんはいう。

解放も違う、負荷も違う。

何もしなくても、そこにあればいい。

オドッタ気になってはいけない。

オドッテいる時は、何もわからない時。

オドッテいる時は、言語も超える、人種も超える。全人類と友達になれる。

存在がそこにあるのがわかる。

 

それを持続させる。一瞬ではだめ。持続。

 

◉目まぐるしく変わっていく

2021年1月25日。

変わっていく台本、演出

なんとか縋り付いていく 縋り付くだけで自分から何かをする頭は回らない

セリフがつけ加わったり、消えたり

 

どこにいくのだろう。

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2021 年 1 月25日

江原河畔劇場での稽古風景

◉コトのハ を なくした

2021年1月26日。

言葉を持たない多くの大人たちが 言葉を持たない子供に憧れをいただき

間違った過去への逃走を図る
言葉を持たない多くの大人たちにも 言葉を持たない子供にも
共通する 芯 が存在する
この 芯 だけが人間を人間たるものにしている

その人間の部分で人同士が意思疎通を図ることで本当の交信、交流が生まれてくる

 

 

言葉をなくした風に
誰の言葉かわからない 人ではない言葉を話させる

 

 

思い出の歌は違う 意味を持たない音
感情を司どるもの 何か予想を裏切るもの 覚えていないもの! 覚えているようで 忘れてしまったもの

 

言葉を失った俳優が行き着く先は

身体 身体もまた言葉

 

削ぎ落とす 舞台の上ではとことん削ぎ落とす

言葉も、身体も

 

あるのは、人間を存在たらしめる その何かだけ

 

◉風は気まま 気ままでも 気もない気まま

2021年1月27日。

 

人は失うことを恐れている

金も、地位も、名誉も

 

だけど最も失うのが怖いもの

きっとそれは言葉だろう

 

通し稽古が終わった

久しぶりに何かをやり切ってしまった

また一つ削いだ 殺がれた

 

これまでの人生で集中力を切るなと何度も言われてきたが

今回は、それは消えてないっぽい

 

 

◉顔は多くを物語る 身体は全てを物語る

2021年1月28日。

 

ふと思ったことを書いておく。

死ぬ間際の、死にきれなかった祖母がヨボヨボの足で家の階段を登るのを介助した ことがある。いや、正確にはしていない。ただ、隣で手も差し伸べず、涙を流すこ ともなく、同情することもなく、何もできないことへの後悔とも呼べない、形容す ることもできない感情と戦いながら、30 分ぐらいかけて、7 段の階段を祖母と一緒 によじ登った。

 

あの 7 段、祖母の隣にい続けた。早く逃げ出したかった。けれども逃げ出すことも できなかった。手を差し伸べることも、手を引っ込めることもできない。

 

長い、長い、長い、長い、長い。

 

ヨボヨボの人に手を貸すことで優越感に浸りたくもなく、けれども逃げ出した劣等 感に苛まれたくもなく、僕はそこに居続けた。苦しかった。死にたいと思った。生 きたいと思った。

 

僕の行動は間違っていたのかもしれないが、自分の中では強烈な体験として残って いる。母にそのことを話したが、なんと言われたか覚えてない。

 

あの 30 分が、あの祖母の死体が、今、僕の中にある。

 

あの時、僕と祖母とが初めて、二人っきりで、語り合った、そしてそれが、最後だ った。

 

それまで祖母と話したこともあんまりなかった僕にとっての、唯一無二の祖母との 思い出。

 

今日のこと。

あ、嘘ついてるな。と思ったら、やっぱりバレている。

大地さんはそれを見逃さない。すぐに指摘する。

いい時はいいと、ダメな時はダメと。大地さんの理想とするオドリは誰でもその状 態になれると、大地さん信じている。なんて人だ。そしておそらくそれは間違って いない。信じられる。信じられない夢想家の話ではない。信じられるリアリストの 発言だ。

僕は自分を信じていない。と今まで言ってきた。

自分のことが嫌いで、自分の経験など浅はかなものであると。

 

自分を彩る全てのものに価値がない。だから、操り人形のように言われたことをひ

たすらにこなせるようになる。自分は容れ物だ。そう思っていた。

けれども、それは間違っている。というか見当違いだ。

 

僕らがやるべきことは、知識や経験、地位や名誉の服を、着ないことだ。

これらは、意図的に自分と接しないところにおいておく必要がある。

服は密着する。密着すると、肌が呼吸を忘れる。

だから、それは、部屋のどこかに置いておいて、必要な時には使うようにする。

それぐらいがちょうどいい。

何も着ていない自分をもっと見つめる。

恥ずかしい、ただただ恥ずかしい。けれども、その恥ずかしさと戦う。

 

僕はやっぱり自然が好きだ。というか、外が好きだ。

夜中、雪が空間を埋め尽くしていた。その中を爆走した。上を見上げた。どこまで も雪だった。雪。雪。美しい。音を吸収してくれるあいつらは、僕を僕と認めてく れる時間をくれる。

この中に一生いられたら。カマクラに一生入っていたいと思った小さい頃の気持ちを思い出す。

そして、それは今でもある。今でもあるんだ。それを信じろ。失うわけがない。ただ、見えない位置に埋もれてしまっただけ。 掘り起こせ。
掘り起こすためには削ぎ落とせ。それを信じろ。信じることを、間違えるな。

 

僕を、僕を、僕を、僕を、ただ、僕を信じろ。それだけは裏切らない。裏切るのも自分だ。

 

 

◉明日の本番を前に

2021年1月29日。 「演技ができなくなって、どうしたらいいかわからない状態にいる」

大地さんの観察眼は鋭い。洞察力というべきか。 僕は一言も「演技というものが分からず、そもそも演劇というものが分からなくな っている」旨を伝えたことはない。

ただ、稽古を通して、大地さんは僕が最も輝く方法を考えている、というのが伝わ ってくる。

ソゲさんは「大地さんは愛の人間」と評していた。

僕もそう思う。そしてその愛はむき出しなのだ。だから知らないうちに怪我をさせ てしまう。愛とは、時に凶器にだってなる。難しい。だが、それがわかっていれ ば、なんてことはない。

「全てを剥ぎ取って、何にも支えられず、何にも頼らず、誰にも明け渡さず、ただ そこにある、ということだけをやる」

それだったら、僕にもできると思った。

生きていく中で自分が作り上げてきた感情やらなんやを全て剥ぎ取ればいいんだ。 難しいかもしれないけど、誰にでもできることなら、僕にもきっとできるはずだ。 だって、できない人はいないのだから。

 

信じていたとしたら、人はハダカになれる。! それを信じて、この 1 週間ぐらいの旅を歩んできた。

 

舞台上では嘘をつきたくない。

僕は何もできないけど、舞台の上に立つことならできる。

それしか、できないから、それをやる。

ただ、それだけだ。

 

明日は本番。まとまらない。さて、剥ぎ取った自分の身体を舞台の上に置いてこよう。

 

 

◉どこへ、どこへ行くのだろうか

 

2021年1月30日。

風が吹いた 風が吹いた

風は吹き終えた 風は止んだ

 

どこへ行ってしまったのか 風を見失ってしまった

風が止んだ 風は止んだ

ところで 風はどこからやってきて どこへいくのだろう

風の出発点をあなたは知っているだろうか

風の終着点をあなたは知っているだろうか

 

風が生まれる瞬間に立ち会えたことはない

風が死ぬ瞬間にも立ち会えたことはない

 

ふと意識を失う 僕の中が無風状態になる

その瞬間に風が生まれもしているし、死んでもいる

しかし、僕はそれを認識できない 無意識だから

 

また風が吹いてきたら

暖かく迎え入れよう

 

これで日記はおしまい

 

◉あと語り「ただ 立つ」
ただ 立ってみる。 歴史的な何かがあった場所に、誰かの思い出があった場所に、舞台に、日常に。

「ただ立つことすら許されないのか」
「全てを削ぎ落として、ただそこにある」

12の次を見つけに行こう。 2021 年 2 月 星善之

 

 

 

 

 

 

星善之

福島県西会津町出身。茨城県取手市在住。創作ユニット「ほしぷろ」を主宰。

2016年から2019年まで劇団「百景社」に所属。退団後も演劇を中心に据えた作品創作 を行う。年齢を問わずに作品を楽しんでもらうため、広く知られている童話や小説

を題材として、再構築・上演するスタイルを取る。主な上演作品は『よだかの星』 『おきなぐさ』『やまなし』『高瀬舟』。2021
年 2月より「立つ」活動を開始。

 

 

「豊岡体験記憶」石川朝日

2020年12月20〜27日

「豊岡の体験記憶」石川朝日

(たじまアートキャラバン・知念大地大道芸スタッフとして参加)

生きること・芸をすることについて考えた1週間の体験。
自分の身体を記憶に伴わせ、とりとめのないことの重要性を書き留めたノートと声の録音。

☟ノートの写真はこちら

 知念大地 体験記憶(1)

 知念大地 体験記憶(2)

 知念大地 体験記憶(3)

 知念大地 体験記憶(4)

 知念大地 体験記憶(5)

 知念大地 体験記憶(6)

 知念大地 体験記憶(7)

 知念大地 体験記憶(8

 

寄稿文

2020年12月たじまアートキャラバンスタッフ鈴木南音による寄稿文

▶︎PDFで読む場合はこちら

 

「知念大地のこと:「場」を通して見ることについて」

鈴木南音

2020年12月、知念大地の「たじまアートキャラバン」に帯同し、豊岡市・養父市・朝来市のこども園・小学校、豊岡駅近くの公園で行なわれた全8回の公演を観た。
そのなかで、劇評の依頼を頂いたのだが、実はどのように言語化すべきか迷っていた。というのは、知念の芸が、ある意味で言語化を徹底的に拒むように作られていると感じたからである。

現代は、言語化が無批判に是とされる時代であるように思う。
もちろん、異文化との出会いが増える現代において、言語化は、意思疎通のための重要なツールである。私たちは、語りうるものを語り尽くすことでしか、語り得ないものに接近することはできない。しかし、その一方で、人々の言葉にならない声は、無きものにされつつあるように思う。教育の現場では、過度なメリトクラシー(能力主義)の潮流のなかで、本来、話し手と聴き手とのあはひにあったはずの人と人とのやりとりが、話し手の「コミュ力」だけの問題に還元されつつある。そのような価値観のもとでは、全てが、言語によって分割され、言語へと還元されてしまう。

 

 

一方、知念大地の大道芸では、言葉が発されることは、ほとんどない。観客とのやりとりの中で時々言葉が発されることはあるのだが、日本語で発された言葉であっても、あたかも外国の言葉のように聞こえる。それは、知念の言葉が、何かを伝えるための言葉というよりも、ひとつの「場」を現出させるための言葉だからなのだろう。知念の大道芸は、伝える/伝えられるの区別を超えている。
たとえば、豊岡市立資母小学校での訪問公演である。そこでは、子どもたちの何人かが舞台に上がり、ある子どもは知念とサッカーをし、ある子どもは猫のキーパーとなり、ある子どもは溺れている知念を助ける船員になるなど、子供たちもパフォーマーへと変容する。舞台には上がらなかった子どもたちも、ある者は焚き火を見るように、ある者はつぎのパフォーマーとして、仲間たちのパフォーマンスを見ている。そこでは、誰しもが、その「場」の一員であり、もはや伝える側/伝えられる側という区別はない。知念が現出させた「場」だけがあり、何もせずとも、ただそこに居るということが許される空間だけがある。

興味深く感じたのが、知念自身が、パフォーマンスのあと、何もせずとも「ただ居られる」ことの重要性をしばしば話していたということである。これは、かの社会心理学者エーリッヒ・フロムが用いた、”being”と”doing /having”の区分に対応しているように思う。すなわち、現代人は、何をしたのか/持っているのか(=doing/having)という軸だけで評価されがちであるが、人間(=human being)にとって、ほんとうに重要なのは、何をしたのか/持っているのかということではなく、ただそこにあること(=being)だということである(私は専門家ではないのでフロムの論旨に若干の記憶違いがあるかもしれないが、その点はご容赦願いたい)。重要なのは、伝える側/伝えられる側の境界を融解させ「場」を現出させる知念の大道芸が、人間(=human being)であることの肯定につながっているということである。普段、メリトクラシー=新自由主義的な価値観のもと、その能力や成績(=doing/having)を軸に評価されがちな学校という制度のなかで、ただそこに居ることを肯定する瞬間を作ることは、(学校に馴染めず休みがちだったかつての筆者のような)一部の生徒に救いとなることに間違いは無いだろう。知念の大道芸には、伝える側/伝えられる側の区別を越境する刹那が、たしかにある。

 

 

連日のパフォーマンスで最も興味深いと感じたのが、12月25日、クリスマスの日の夕方に、雪の降り積もったひまわり公園(豊岡駅付近にある川の上の公園)で上演された「おどり」である。
知念大地の「おどり」は、一般的に想定されるような(音楽に合わせて身体を動かすというような)おどりとは大きく異なっている。その「おどり」では、音楽が流されることはない。音楽の代わりに、その「場」に元々ある音や景観のなかで、知念の身体が、ただ揺蕩っている。その「場」において、観客たちは、知念の身体だけを見るのではなく、その「場」全体を見る。空、鳥の声、他の観客の息遣い、川のせせらぎ、雪の冷たさ……。全てが、知念の「おどり」の一部であると同時に、知念の「おどり」を含む全体であり、いわば、観客は知念の身体とともに世界を見ているのである。
メルロ=ポンティ(1964=2015)は、ラスコーの洞穴絵画を評して、「私の眺めている絵がいったいどこにあるのかを言うことは、私にはとても難しいことだろう。というのも、私は物を眺めるように絵を眺めているわけではなく、その絵をその場所に固定したりせず、まるで《存在》の周囲に広がる輪光のなかをさまようように私の眼差しは絵のなかをさまようからであり、私は絵を見ているというよりは、むしろ絵に即して、絵とともに見ているからである」と述べている。知念大地の「おどり」も、洞穴絵画のそれに近い。すなわち、知念の「おどり」を見るとき、観客の眼差しは、知念大地を見るというよりも、知念の身体を通して示された「場」をさまようのであり、知念の身体に即して、そして身体とともに、世界を見るのである。そこには、伝える者/伝えられる者という区別は、もはや存在しない。

この「おどり」は、見る者によっては、もしかしたら「わからない」という感想が最初に出てくるかもしれない。しかし、むしろそれは、正しい見方だろう。すなわち、知念の「おどり」の眼目が、分け隔てられること(=rational;合理化)へ抵抗し、生み出された「場」を通して人々や世界がつながることにあるのだとすれば、それは本質的に世界を分割する言語化の営みに抗うものであるはずだからである。その「わからなさ(=irrational)」は、きっと「世界の分け隔てられなさ(=irrational)」に繋がっている。それは、何者であるか(=doing)が常に求められる現代社会における、祈りにほかならない。

以上、つらつらと語りうることを書き記してきたが、知念大地の芸を知るためには、その語り得ぬ部分を知ること、すなわち、知念が作り出すその瞬間の「場」に参加するしかない。ぜひ、知念の身体とともに、その「場」を目撃して欲しい。

 

 

参考文献
Merleau-Ponty, M.(1964), L’OEIL ET L’ESPRIT. Paris: Editions Gallimard.(=富松保文訳,(2015),『メルロ=ポンティ『眼と精神』を読む』武蔵野美術大学出版局.)

 

 

エッセイ 2010-2016

 

「遊びの王さま」作:ちねんだいち

 

ある学校に遊びの王さまがいた

王さまは遊ぶのが得意だった

でもだれも遊びの王さまがどこから来ているのかを知らなかった。

 

ある夕方、学校が終わると、子どもたちはこっそりと王さまの後をつけた。

王さまがこの世界のものではないと大人たちがウワサをしていたから。

 

王さまは街を抜けて、小道をひとり歩いていった

山に入る入り口で 王さまはふりかえり 僕らにニタ~っと笑ってみせた

 

沈みゆく太陽にてらされ、きらきらひかる樹々や空、王さまのまわりには鳥や虫たちがやってきた。

 

王さまは ふっと 消えた

 

その瞬間、樹々や空、鳥や虫、ケモノたちが生き生きと軋んだ

 

王さまは森だったのだ

 

翌日から王さまは学校に来なくなった。

子どもたちはさびしかった。

 

けれど前より、子どもたちは風に耳をすますようになった

土を見るようになった

樹にさわるようになった

子どもたちはその時、王さまと遊んでいる気持ちになった

 

思えば、王さまの周りには、仲間はずれがいなかった

思えば、王さまはいつも走り回ってくだらないことをしていた

思えば、王さまに話しかけられない子なんていなかった

思えば、王さまは大人のくだらない話の時、いつも僕らの見方だった

 

思えば、王さまは、遊んでいるようで

僕らの為に生きていたのだ

僕らはそれを知っていた。

 

遊びの王さま

きみにまた僕は

会いたいよ~う

 

 

 

 

 

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2016.12.22

 


 

ピカソが好きです。

ピカソのどんな絵よりも「明日描く絵が一番すばらしい」、と言った、ピカソの心が好きです。

 

2016.1.21


 

「少年の飛行帽子」

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私 は毎日毎日、遊んでいた。

走る車から、走る電車から、私はいつも窓の外に、ひとりの人間をみた。

身体がグニャグニャになりながら、私と並走する白い欠片。

電柱に激突し、倒れ、また 立ち上がり、赤信号で止まる私を背に、追いつかれるであろう未来へ向かい、全速力で走り去る相棒。それが私の、たった1人の友だちだった。

紅 葉実る午後、私は口足らずの鼻を垂らして、掴みかけていた青春を、誰かに宝物のように見せたことがある。

コンクリート打ちっぱなしの地下で。

ただ、認めて ほしかった。威張りたいわけじゃなかった。

下校途中の太陽が、坂道に寝そべっ て、真っ赤なランドセルのあの子を空に焼き付けている…。ボンボンと花火の音が暗闇に咲く。

その膨らみを誰に頼まれたわけでもなく、こころの雑巾で拭っ た。

日だまりの公園にいた、誰も手をかけない手すりを、知っている。

パズルピースのようなニスのくぼみと指、青と白の体育着に声が入る夢。

 赤い胸の校章が好きだった。

横に走る登り棒と面影がさするバスケットコート。煮詰まった張板と隅っこの音たちの遠出。。。

僕は他人の不運を願い、烙印を押 される仲間を見ては、いつも、いつも戸惑っていた。

バーン!とはじまったステージの上、一番遠くから私を見た教師はその時、人だった。私はいつも、一人 だった。

実験で作ったサ ラダ菜を宝石のように噛み、敗北に頭突きをかまし、膨れた目玉をあの子に見せびらかしては、動揺ばかりをポケットに入れていた。

嘘をつき、嘘をつき、バッタリといつも寂しさにぶつかった。

楽しさは駆け出すと、必ず切なさにぶつかった。

消しゴムを投げつけ、最後まで皆で無視した、綺 麗で真っ直ぐなよく泣く先生が、みんなみんな好きだった。

誰もいないアパートで流し台によじのぼり、西日をからだに塗りたくっては、アンパンマン歯磨き粉 を食べていた。

「自由時間」が嫌いだった私は、常に誰かに強制的に縛られたいと寂しがりながら、寂しくない演技をし、ただ傘をぶん回していた。

雨上がりの 帰り道には、決まって傘を忘れた。その純朴だけが校舎を七色に染めていた。

雨日は決まって傘先を、壁や車の下や空に向けるから、いつも濡れていた。

空をく りぬいたようなベランダ。室外機の脇、海がそこにあって、悲しみもそこに あった。

私はガラスに鼻を押し当て、この世界と全身で闘っていた。

久しぶりに、母とキャッチボールをしたことがあった。何球かとれなかった私は、母とは 違った方角にボールを投げ、「とれないじゃないか」と言った。

母はグローブを置いて立ち去った。

あの時、私は、自分を裂いていた。

立ち入り禁止の柵内、高 い所から高い所へ飛ぶ遊びを、飽きるまでした。肉を割いて骨が見えるイメージ、それだけを何百枚もあたりに投げた。

ぼんやり繋がれたように、急いで忘れ物 を取りに帰るように、あの子の団地の入り口を、心からかすめた。

赤土校庭の隅で、キーコキーコと剥げた遊具をつまんでは離し、水滴を手のひらでゆっくり ゆっくり払った。

テカテカの銀の袋に入った小さな菓子が食べたかった。遊ぼうと嘘をついては、お菓子だけが食べたかった。

誰かもわからぬからっぽを従え、 私はただ、いつも幻想を見ていた。

退屈を噛んで噛んで忘れてしまった気配を山羊が眺めている。

虫たちが一面すべてを掻き消して、掻き回し て、呼ぶ。

私は珈琲を呑んだ。そう、 私は、悔しかった。

眩しい景色はいつも舌足らずで、どんだけ悔いても悔いても、何を悔いているかを忘れるような、そんな阿呆が情けなかった。

しか し、そんな阿呆を私は密かに、大々と、愛していた。

空間に地面が落っこちて、トントンとボールのように、はねる。

私はトンネルの中、向こう側に張り 付いた秋にまみれた子どもたちのやさしさを、肉肌に刻みこみ、刷り込んだ。

スネのよこが砂利で擦れ、膿が真っ白く浮き上がり、ソックスに口を寄せる。

私は たいせつな肌を剥がすように、君と明日への隙間を覗き見し、また覗いては隠れした。

マンホールのくぼみに溜まった濡れた髪の毛。しっとりとヒンヤリ、冬が 来てるんだぜ。別れの季節がいつも僕 に夢を見せた。

デッサンは一人でに夜の繁華街を歩いて、ハーモニカを吹きながら真っ黒い空を食べ続けている。

そうだろう、地球の果てまで行くと、いつだって、虫とか膝と か、そんなものしかいないから、私は、思いっきり、悲しいよ~って泣く。鳥とか。

あれは夕暮れとか朝焼けとか珈琲とか、馬鹿とか、何だっていいんだよ。わ か りますか?みんな、さびしいんですよ。

あなた!少しボコーンとあの薬屋の門に突っ立っている看板盗んできなさい。そうですよ。殴るんじゃなしに、コッソ リ、盗むんです。音もなしに。

ドロボーはね、ただ、寂しいでしょ。その寂しさをね、抱えて抱えて、寂しい人は、優しいでしょ。

物乞いは、冷たい氷水のよう に、流れていく寂しさをね、盗んでいく。だから、冷たい優しさを抱いているよ。本物はね。

肋骨の下あたり、そこに青春があって、ユラユラ踊って い るのがわかりますか。

夜、雨上がりの 真っ黒に光ったアスファルトの上に、ビー玉を置いた。

街灯にてらされた少し、変わった景色を眺めていた。両眉の上あたり、輪郭のないお母さんがいた。透明 な、人型の袋に見え た。でも、違う。

ひたいにスッと人差し指でもつけられたような気になって、私もう一度、今度は、小さく、「おかあさん」って思った。その私を、いつ も私は鉄格子に入れて持っている。

真っ赤な暗がりが吹き出した、熱のねじれ、ぼく。

何度も美しい瞬間が重なると、ふくれてはじけて雪になる。すると、コタ ツの中にいた、寂しさたちが「たいくつだね、たいくつだね」ってうずくんだ。

私が一番、恥ずかしいのは、自分です。悲しいのも自分です。

つ まずいて、やっと一秒になる。

死んだ時間から落っこちる為、その為だけにず~と、塗っている。何かを。何か に。 何でもいいと言った具合に。

鏡を見たって鏡の裏側が映らないでしょ。だから鏡が無かったら、全てが並んで列をなす。

喪服のタグ、もう一方のドレス、新しい 靴紐と履きならした靴の恥じらい。忘れられた温かい弁当。走り去るバスに投げ込まれた一生咲く花。地球に腰掛けて、草だっ て恋をします。

だからいいんですよ、と慰めても、どうもやりきれないから私はまた足の毛、手の毛、へその毛、耳の下の太い髪の毛なんかを抜くのかな。 一人で。便所の中、風呂場の中。

芸術とか生活と思いながら。

私は嫉妬深いですよ。インディアンじゃないですから。

宝物があれば、誰にも渡し ま せんよ。好きな人だけですよ。そういうね寂しさってやつを、暴力が優しい顔して、バシバシ紐解いていくでしょ。

私は丁寧に、右左曲がりながら結局、爪 いじっちゃって、その間に、とられちゃってね。気づいているのだけど手元が気になるフリしてね。

はみ出したそれを、しこたま殴って消した。ずっとずっ と、無視。その絶望を、遠くの空、市営グランドの網の隙間からすくってまた傷口に染み込ませる。

いろんなキス(口づけ)が、痛くって痛 くっ て。グルグルほおった縄を巻き取りながら、やっぱりあの人とあの人(好きな人)の、そう、肩と肩に掛かった橋を、蟻が落っこちる一瞬を、恋とよび、待ち 構えている。それはあかね色だよ。

鎖骨の端っこから背中の、羽根が生えていたらしいくぼみにかけて、斜めに走る直線は、日が沈む間際、紫色に染ま る 秩父の山並みを呟く。

もう二度と来ないでほしいと焦がれながら、私はおおきなおおきな、眩しいやさしさに向かって、やっぱり会いたいという。

いのちの 秤は触れるたび、今日を厚くして答えている。ひなたぼっこと押し入れの影で、私は、小さな願いを持っていた。

ある日、 それを書いてみた。叫ぶような何かの重さにぐりぐり押されながら、散らばった棒っ切れで、  あたりを気にしながら  。

 

 

2015.11

 


 

「ベイビー逃げるんだ」

 

過労で自殺した女性の記事を目にした。とても悲しい。

僕のこのブログを読んでいる人の中にも、会社や身の回りの人間関係に苦痛を抱いている人がいるかと思う。

今日は、そんな人に書こうと思う。

僕は高校を卒業して一年間、沖縄のFC琉球(現在J3)というサッカーチームに所属していた。

高校の時からラモス瑠偉氏に気に入られ、東京の家に呼ばれてご飯を食べたり、東京ベルディのサテライトへ沖縄から参加していた時期がある。

そのラモスから直接、沖縄でプロサッカーチームを作るから入らないかと呼ばれ、僕のFC琉球生活は始まった。

当時はまだ県3部リーグで、もちろんギャラも出ない。練習グラウンドもなく、沖縄、那覇にある貯水所の芝生で練習をしていた。

皆、J経験者だったり、若い頃、日本代表ユースの中心人物だったり、実業団の中では群をぬいてうまかったり、そんなメンバーが集められた。ほとんどは県外の人。沖縄のメンバーは、実力も劣っているので居心地が悪く、今思えば何かと笑いのネタにされていた気がする。

メンバーの中には、その後J1に行って活躍した人もいるし、フットサルニッポン代表、ビーチサッカー日本代表で世界大会に出場し、活躍した人もいる。

そのチームで僕はというと、入ってすぐに怪我をし、最年少だったため、買い出しや水汲みばかりしていた。

僕の気持ちは焦るばかり、皆は、不満がたまっているから、いつも誰かが誰かの文句を影で言ったり、誰かをのけ者にしたり、そんな毎日だった。

雑用と気づかいでボロぞうきんのような毎日。治らない足首。若かったので勢いでプレイしてみると、またその夜、酷く痛んだ。

「まだできねぇの?」「嘘なんじゃねーの?」そんな言葉を言われながら、一年を棒に振った。

毎日、行くのが本当に辛かった。練習場に向かう朝、胸が締め付けられ苦しくなってきていた。

強がり、気を張り、他に対するプライドで身を固めた。

気付くと、練習じゃない時間だけが、安らぎに変わっていた。僕は何のために行っているんだろう。

小さな頃から、僕はサッカーしかやってこなかった。

これしかない。これをやめたら、僕じゃない。そう思っていた。

頑張ることでしか道は開けない、先がないと思っていた。

ある日、「やめよう」と思った。

その翌日、僕は練習が終わると口を開いた。

「僕、今日でやめます。」

『Jリーグへ』、という夢(その夢が叶う頃、このメンバーの多くは解雇されているであろう事を、皆どこかで知っていた)でチームは必死に結束していた。

僕の発言に、不意をつかれ、皆ポカンとした。

その後、皆、急に優しくなった。

「やめるな」「頑張ろう」とか「明日も待ってるよ」とか。

「雑用をその後、誰がやるのか」その問題が僕より少し上の世代には一気によぎった事だろう。

本当に僕の才能をかってくれた10番リカルドは僕に「もったいない」と何度も言った。

僕はやめた。

FC琉球、初めての退団者だった。

それからしばらく僕はさまよい、ダラダラ遊んでいた池袋でパフォーマーTOYの「大道芸」と出逢うことになる。

震えるほど、感動した。僕は投げ銭を入れるために並んだ観客の列に入り、お金を入れた後、握手をした。

いつもあの日の感動が渦巻き、当時、居候していた親戚の家がある埼玉のみずほ台から、ない金を叩いて池袋をうろつくも、彼にはついに再会できなかった。

僕は沖縄に戻り、かわいい女の子がいるかもという不純な理由で沖縄キリスト短期大学の「保育科」を目指した。

塾に通い、朝から晩まで勉強した。でも心のどこかで、大道芸が忘れられず、鏡を見てはロボットのパントマイムをしていた。

ある日、眠りに付く前の天井を眺めていたら、「俺は一生このままだ」と思った。

翌日、僕は高校生の頃遊ぶために通った街角に立った。

震えながら差し出した帽子には一銭も入らなかった。

片付けをしていると、一人の小さな男の子がよちよち歩いてきて僕の前に立った。

きょとんとしてその子を眺めると、その子は100円を持っていた。

その子の来た先をたどると、若いお父さんが、「いいよ、いいよ」と言うふうに笑いながら眺めていた。

僕は急いで鞄を開き、帽子を取り出した。膝をつき、男の子に差し出す。

そのお金の重たさが、今日の僕を支えている。

僕は静かに大道芸人を始めた。上京し、新宿で小突かれ、駅前でもまれながら、時折沖縄に戻り、北谷町美浜でパフォーマンスをする日々。マンガ喫茶、カプセルホテルから路上に通い、公園に寝たこともしばしば。。

飲み物をごちそうしてくれた乞食のおじさんもいた。

「ホントはビールあげたいんだけどな、金なくてな、ごめんな」といって、「頑張れよ」と僕に言った。

そんなある日、

後ろのベンチでFC琉球メンバーの一人(中心人物・よく僕をいびった人、僕との折り合いが悪かった)がじっと見ていた。

僕がやめてから3年ぐらいたっていただろうか。

パフォーマンスの後、彼は歩いてきて、僕の帽子に千円札をいれ、「カッコ良かったよ」と言った。泣いていたようだった。

みんな、みんな、もがいてる。

もしきみが優しくなりたかったら、きみが突き抜けるしかないんだよ。

いつかきみが、皆が楽しめる場所をつくれたら、なんて素敵なことだろうと思うよ。

苦しい場所だと、みんな簡単に誰かを傷つけたり、批判してしまう。

会社を批判しても、他人を批判しても、きみがそこにいるなら、何にも変わらないよ。

苦しくて自殺するぐらいなら、今すぐにやめちまって、

ぼーっとしてほしいよ。

女に走ったっていいし、毎日エロ本読んでたっていいよ。

金がなかったら苦しいよね

でも、本当にたいせつなものや、感動に出逢うかもしれないよ。

つっ走り出した勘違い野郎の僕を、沢山の人が支えてくれた。

今は名前も忘れた飲み屋のおばさん、通りかかったヤクザな兄ちゃん、大学生だった姉にはフラフラ期を支えられた。

千川に住んでいた暴走族関係しか友達がいない友人に久々に再会し、彼の実家に何度も居候した。

そいつの母さんが、「もうずっと住んだっていいよ」と言ってくれた時、本当に嬉しかった。でも「絶対に家を借りよう」ってその時、心に決めた。

とにかく、死にそうなぐらい苦しかったら、とにかく、死ぬなって伝えたい。

僕 がきみに会えているのだって、中学校の頃、ヤンキーとケンカして死にたくなってベランダから外を眺めていて、「死ぬのはあいつを今日殺して、それからだ」 とカッターをもって学校に行ったり、、そいつに会うと「殺すまで憎くはないな」と思えてダラダラまた死ぬ機会を逃した。

FC琉球でのあの日、「やめます」と言えなかったら、僕はどうなっていたかわからない。

とにかく、従来の「きみ(名前)(生まれ)(育ち)(親や他人の期待通り)」の人生から外れたその先は、

予測できない範囲なんだ

だから、自分には才能がないとか、俺はうまく行かないとか、自分の今まで経験してきた知っている範囲で考えちゃ駄目だ。

もっと知らないことが沢山あって、出逢ったことのない人達が未来で待っている。

きみが生きているだけで、もしかすると、素敵なことがあるかもしれない(きっと、今苦しいのなら、それよりは素敵なことが必ずあるはずだよ)

夢をもって頑張れ、と言っているんじゃない。

もっと、クズでいいし、汚くていい。弱くていい。正直でいい。

死ぬぐらいなら「しっかりしたやつ」なんかになるな。

僕の芸を好きで居てくれて、何かが響いているなら、きみにはきみの中の真っ赤な美しい魂が流れているんだ。

それは僕の友達だ。

どんな事をしてでも、生きてくれ

くやしいだろ

くやしさを忘れるな

踊り手として言っておきたいことがある。

きみがどんなに能力がないやつでも、クソ野郎だとしても、誰もきみの尊厳を傷つける権利はない。

命の尊厳は、能力や才能というような小さな問題じゃないからだ。機械社会クソくらえだ。

蔑まれたら疑え。きみは何故、「仕方ない」と泣き寝入りするのだろう。

闘えなかったら逃げ出せ。放棄しろ。きみを傷つけている場所から。

心が苦しくなったら、その苦しんでいるたった一つのきみの命のためだけに、きみの何かを賭けてみることだ。

きみのために思考し、生きろ。

他人から「わがまま」と嘲笑される大切なきみを守れ。

その道は、険しい道かもしれない。

でも、嘘をつくことを強要され、「上司」に気を使い、「能力」が上な奴らから蔑まれることよりは、苦しくない。

頑張れ。

 

 

 

2015

 


 

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岡部西小学校での講演(一年生から六年生、教師たちに向けて。父母多数。)

演題「僕の仕事」

 

(25分のパフォーマンスを終えた後に…)

これが何か知ってるかい?(千円札を見せて)
お金だね。
君たちのお父さんやお母さんが一生懸命働いてやっと貰えるお金です。

これはただの紙切れだよね

どうして大人は こんな紙切れ(お金)のために働くんだろう

僕はこれで(大道芸で)お金を貰う
時が違えば食べものや住まいだったはずだ
僕が生きるために必要なものを、人々はくれたはずだ。
またうたったり、踊ったりするまで生きぬくために必要なもの。

お金は 本当は やさしさなんだ

仕事もそう。本当は、誰かに何かをしてあげることなんだ

君たちは地球が出来て、今日まで続いてきた、命の先端にいるんだ。
君はお母さんから生まれて、お母さんはおばあさんから生まれ、おばあさんはひいおばあさんから生まれて、、、ずっとずっと必死に生き抜いてきた命の先っぽに、今、君のからだは生きているんだ。

テレビや携帯がなかった頃。ガスも電気も水道だってなかった頃。
自分たちの家を自分たちの手で建て、狩りをし、火を焚き、肉や魚を喰ったり。そこには君の古いおじいちゃんだっている。
その一番先に、今、君がいきている。

誰かに優しくした時、うれしいよね。
された時、うれしいよね。カラダが、喜ばない?
それは君まで命をつないできた沢山の人たちも、一緒に喜んでいるんだ。そうやって、苦しい時や悲しい時、みんなみんな命を繋いできたから。

惨めでも、負けっぱなしでも、どうにか生きてください。

あとひとつ、素敵なことがあるまで。もうひとつ、素敵なことがあるまで。そうやって生き抜いてください。

君が今、生きていることこそ、君に命を繋げてくれた人たちの夢や希望だからです。

今回、僕は子どもたちに夢や希望をあたえてほしいと、言われ、ここにやってきました。

夢や希望とはなんだろう

希望や夢とは、他人から与えられるものでなく、絶望と出会って目の前が真っ暗になった時に君自身が、たった一人で、生み出し、握る、小さな光です。

悲しいなとおもいながら、とぼとぼあるく一歩だったり、膝を抱えてたったひとり息することだったり‥

君たちは、中学生になったら「中学生」になれると思いますか?
高校生になったら「高校生」に‥、大人になったら「大人」になれると思いますか?‥

今の君がね、未来にいるだけなんだよ

頑張れって自分に言い聞かせて生きる君が。

最後に、僕の仕事ですが、

僕の仕事は、そうやって頑張って、たった一人の自分を生きることです。

これで僕の話は終わりです。

※本番はこの内容を元に、その場で絵を描くように少しの言葉で話しました。

誰にも言えないけれど、実はとっても、淋しいと感じている子に、届けばいいと思い、構成しました。

 

 

 

 

2016.2.16

 


 

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セバスチャン・サルガドの写真を初めて見た日

 

労働者の身体の美しさ、難民の、美しさに驚いた(大切な問題があると思った)

携帯電話の待ち受け画像にしていた時期もある

僕が高校に入り、コンビニ外でお菓子を食っていた頃、サルガドは難民を撮っていた。

ルワンダでの大虐殺に、遭遇し、人間を信じられなくなっていた

僕が大道芸を始めた頃、絶望し故郷に帰ったサルガドは、妻の発案から自身の荒れ果てた土地に樹を植えはじめた

機関銃で撃たれながら逃げ惑う人々。虫けらのような命。難民の行き着く先、彼らが生涯抱える問題を思うと、苦しい。難民の宿命。

サルガドが写した魂の震えは、時を経て、埼玉の片隅にいる僕の心臓へ、真っ直ぐに響いてくる

今、私たちがいるこの場所から過去にさかのぼっていくと、必ず戦争と、大虐殺と、拷問に行きつく

生きるってことは、生きているってことは、

現在進行形中の全てを、抱えているってこと。

楽しんで生きるのも、悲しいとつぶやくのも、知ってしまった人類史という大きな物語の中で。

そして、それをふまえた上で、楽しめないから、僕は、踊る

悲しみをなくしたいわけじゃない

しあわせになりたいわけじゃない

納得した人生を、生きたいだけだ

 

 

 

2015.11

 


 

「ある日の憂鬱」

 

義足ランナーを見た

世界陸上。

みんな感動するのかな

俺はしなかった

 

違和感

 

TVも新聞もニュースも。

 

走る前のストレッチから横の人そっちのけでカメラ5台くらいが取り囲む

同じ汗流して苦労してきた人間なのに。

となりの黒人が勝ったら悪いようじゃないか。

僕はその黒人に同情してしまう

 

義足ランナーの話だけど、僕は報道に問題があると思う

あのTV報道の感動を誘発しようという狙いに、臭いに、僕は悲しい事にまず、その義足ランナーを拒絶してしまう

 

スタート前のランナー、皆の顔をサッと映つし、テレビの前で視聴者が、

「あぁ、今義足の人がいたな」

それでいいのではないか

「義足はハンデキャップなのか?」

「バネ付いてて普通の足より早く走れるんじゃねーの?笑」

なんて会話があったっていい

 

報道の要らぬおせっかい

それがまかり通っている社会に僕は失望する

それによって綺麗に泣く人に僕は失望する

おれが見たいのは空なのだ

真っ白な空を見せておくれ

今日の夕焼けは明日への希望か

過去の淡い思い出か

浮かべるのは俺の自由だ

 

結局世界中が注目する中、義足ランナーは負けてしまったけれど

僕は胸が引き裂かれる思いだった

 

大変だっただろう

俺みたいなグジグジうるさいやつがいる事も知っていて

自国の選手にも他国の選手にも気を使い、報道にも首を傾げた日があったに違いない

気持ちとは裏腹に、またはラッキーか、、金も降ってきただろう

 

よく走った

お疲れさん

全部抱えて思いっきり前に走ったその足に僕は拍手するよ

 

走るから、傷つくんだ

走るから、わらうんだ

ありがとう

 

 

 

2011.8.31

 


 

書くのどうかと思ったんだけど書きます。今日は代々木にryuちゃんに誘われたんで

遊びがてらチャリティー大道芸

投げ銭全部募金に回すってヤツ

代々木公園のHHKホールがある通りに福島産の野菜や、募金箱がずらっと並ぶ

ユニセフ、足長募金、その他機関が若者、子供、アルバイト?、ボランティアに募金箱を持たせ、両サイドに連なっていた

ステージでは江戸はるみやそこそこ有名なお笑い芸人、歌手。

江戸はるみは終わったあとに「今日はどのような気持ちでステージに立ったのでしょうか…」と聞かれていて笑った

代々木公園がどよんと暗い

ただ歩いている人を無理やり捕まえて、バイトの子が「アクション for japan」のプラカードを持たせ写真を取ろうと必死

歩こうものなら「被災地ではたくさんの人が死んでいます。親をなくしています」の連呼

そんな中に、俺たちは出て行った

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俺たちの仕事はよぉ

目の前の人と勝負なんだ。